秋の夕陽に 照山紅葉 濃いも薄いも 数ある中に 松を彩る楓や蔦は 山の麓の裾模様♫

2019/11/25

本当に、摩訶不思議ですよね。うふふ。流転輪廻の娑婆(しゃば)の世の中に、わが身を置いています。誰一人として、違いますという人は、一人もいません。今年も、「もみじの歌」を、口ずさみます。となると、毎年歌っていますので、もう、何十年も歌っています。そこで、私は、思います。人間様に生まれたからこそ。こんな素敵な世の中の、季節の移り変わりを、心から愛でることが出来るのだと。そうなんです。人間様だからこそ、「喜怒哀楽」の感情があるのです。「喜んだり、怒ったり、悲しくて憂いたり、楽しかったり」と、当たり前の感情なのです。私は、凄いことを、発見しました。というのは、苦労したり、辛かったり、悲しいことが有ったのに、苦労を苦労とも思わずに、いい年を重ねている人をたくさん見てきました。特に身近には、私の嫁ぎ先の大祖母は、明治生まれでしたが、若くて、夫を亡くしました。一人娘は娘でしたので、男の子を養子にし、行く行くは、お寺の住職にと考えていました。だから、養子の男の子が成人した時に、一人娘と、結婚をさせました。しかしです。養子の男性は、戦争に出かけ、とうとう戦死してしまいました。幸いなことに、「忘れ形見」の「男の子」が、昭和20年4月に誕生したのです。現在の、私の亭主なのです。大祖母の生き様は、本当に苦労の連続だったのですが、晩年は、仏さまのようでした。そこで、私は、「心は」傷つかないのだということを、学んだ気がします。何故、そう思うかと言えば、大祖母は、いつも、「あるがままを」受け入れて、怒ることがありませんでした。

それは、人間の心は、「魂」だからです。「魂」は、神様の命をいただいています。うふふ。神様の命は、「光」なのです。だから心の正体は「光」なのです。 だからかな、「念ずれば花開く」も、自分の思いをまっすぐに、成りたい方向に、向けることが、とても大切なのです。だから、「明るい方へ」も、「有言実行」「無言実行」も、「なにもしなければ、なにも生まれない」になるでしょ。

この時に、「悪口」が出てくる人には、ご用心ですね。「私は、ついつい、悪口を言ってしまうなぁ」という人は、「なぜ、私は、他人の悪口を言うのだろうと、考えてみることも大切かもね。」できれば、自分を冷静に見つめるためにも、自分の本当の気持ち、思いを、吐き出す方法として、ノートに書きだして見ることもいいかもね。そして、書きだしたものを、再度、読み直して見ることです。それは、自分の思い、気持ちを確かめる方法でもありますし、結局、他人を、攻撃しても、自分の心の問題であることに気づくはずです。自灯明って、たいせつですね。