2024年から新5000円札の面の肖像は、樋口一葉から津田梅子に刷新されます。

2019/11/19

新1000円札は面の肖像は、野口英世から北里柴三郎に、「近代日本医学の父」。新紙幣一万円札の面の肖像は、福沢諭吉から渋沢栄一に、「日本資本主義の父」。樋口一葉の肖像は、2004年(平成16)11月1日発行の五千円紙幣で、私は、女性の方の五千札がとても珍しく、とても嬉しく、私の財布に入ると、たまらなく嬉しい気持ちになっていた。その気持ちは、今でも続いて、なるべくなら、お財布に留まって欲しいと思っていた。東京の浅草に泊まった時には、時間を作って、樋口一葉記念館にも立ち寄り、古人を忍び、少しでも肖りたいと願った。だから、日本初の女性に、ときめいていた。しかし、調べてみると、1881年(明治14)発行の紙幣に採用されたのが、神功皇后であったという。そして、肖像画の扱いではない、2000年(平成12)にニ千円紙幣の裏面に紫式部が描かれている。

令和6年には、樋口一葉から津田梅子にと。新しい時代の幕開けに相応しいなぁと、今から楽しみにしているところです。さてさて、津田梅子さんは、どんな人だったのでしょう。

1864年、江戸の牛込で生まれ、父親は明治初期の西洋農学者、津田仙。

1871年(明治4)に明治政府が不平等条約の改正を目指して、欧米視察に派遣した「岩倉使節団」と一緒に渡米。日本女性留学生5人の内の一人で、満6歳であった。アメリカでは、ワシントン近郊のジョージタウンに住むかランマン夫婦の家に預けられて、1873年には、キリスト教の洗礼を受けた。ランマン夫婦のもとで、アメリカの初等・中等教育を受けた梅子は、11年後の1882年(明治15)に帰国する。帰国後、華族女学校で教鞭をとる一方で、ヘレンケラーを訪問したり、ナイチンゲールと会見したり、精力的に活動を続ける。しかし、日本女性が置かれていた状況にカルチャーショックを受け、その地位向上のために自分自身で学校を作ろうと決意する。自分の意志で渡米し、ブリンマー大学で生物学を専攻する。そして、1900年(明治33)、津田塾大学の前身の「女子英学塾」を創設。英語を通じて視野を広げ、国際的教養のある女性を育成することが目的であった。津田梅子の名言集の中から、

◎環境より学ぶ意思があればよい ◎ 何かを始めることはやさしいが、それを継続することは難しい。成功させることはなお難しい。◎高い志と熱意を持ち、少数むだけでなく、より多くの人々との共感を持てれば、どんなに弱い者でも事を成し遂げることができるでしょう。◎男性と協力して対等に力を発揮できる自立した女性の育成。【教育理念】◎先生をするのであれ、主婦になるのであれ、どのような方面の仕事をするのであれ、高尚な生活を送れるように努力してください。古い時代