2019/11/18
木枯し紋次郎の日よりかなと思います。そうなんです。こんな時雨の日も、あれしてこれしてと、結構、多忙なのですよ。特に、ソロプチミスト大田の定例会もありましたので、よりそう思ったのかもくるしれませんね。面白い話も、伺ってね。ゼロから、Ⅰは生まれない。宇宙はゼロから、物は生まれない。「金でも、銀でも」物は、エネルギーの集まり、宇宙エネルギーがあり、天界の波動があり、人間は、宇宙のエネルギーが固まってできた。中国人は、「陰と陽」を、おにぎりは、俵型に、おむすびは三角形にして、三角形にすると、仏様だと、そして、天からの波動が入りやすいと。天地宇宙エネルギーの中心から人間が生まれた。
座禅も天地宇宙エネルギーを感じて座す。へその下の丹田に集中と、する。すると、その姿は、三角形になる。自分を小さくし、集中し、考えを散らす。そうすると、哲学的なことがわかってくる。~自分は天地宇宙と、繋がっていると、感じる。そうすると、神の子だと、解かることができる。すると、不思議です。自分が自分だと思っている「人」は、氷山の一角だということに、気づきます。氷山の下の見えない部分も自分なのですが、見えていません。潜在能力なのです。そのことを、感じたり、思えたりするのは、「人間」だけなのです。だから、どなたでも、秘められた能力を全員が持ち備えているのです。それを自由に、思ったり、考えたりできるのは、人間様だけなのです。動物は、「本能」しかありません。うふふ。そう思うと、我々は、人間様に生まれただけでも、とても、ラッキーな事だったのです。そして、生きる意味は、「絶対の幸福」になることなのです。「絶対の幸福」は、理論ではなく、体験なのです。うふふ。そこで、仏縁が深い人は、一歩進んで、自分の心に原因があるのではないかと思います。「他人を批判」する人には、「絶対の幸福」は、訪れません。私は、この頃、本当だなぁと、実感できるようになりました。
そのお陰なのでしょうか。夕陽の現象も不思議だなぁと、思い調べてみました。地球の自転軸は、垂直に対して23,4度傾いています。そのまま、太陽の廻りを1年かけて一周するため、太陽光線の当たる場所が違います。太陽が沈む方角も「完全な西」ではないのです。季節によって違います。夏至の頃だと、北西あたりに沈みます。冬至の頃だと、南西あたりに沈みます。完全な西に沈むのは、「春分の日」か、「秋分の日」になります。厳密にいうと、春分点や秋分点の通貨時刻と日没時刻が違うので、春分の日、秋分の日でも、わずかずれます。 私は、日本海からの夕陽は、いつも西に沈むものだと思っていましたので、そうか、冬には、山の端に沈むのだなぁと、納得です。