2019/11/13
なんて、この寄る年波を重ねてきたからこそ、思うようになったのかもしれませんね。
「概念」にしても、ある物事がどういうものかを言葉に定義したものです。
例えば、チワワを見てもブルドッグを見ても柴犬を見ても、あれは「犬だ」と、認識できます。「犬」という大まかな意味を持った言葉が存在するために、「犬」という概念が存在します。
「観念」にしても、物事に対してもつ考え。アイディアです。頭の中で思い描いている主観的な考え。
「権威」についても、気よつけたいものです。というのは、優れた者として、他人に威圧して自分に従わせる威力。また、万人が認めて従わなければならないような価値の力。専門知識、技術について、その方面で最高の人だと一般に認められている人、大家。
得てして、「概念」「観念」が、「こういうものだ。」「こうすべきものだ。」と、固定化してしまうと、「常識」の中に、はめ込められてしまい、身動きできなくなる。おそれが発生します。というのは、そこで、人間は「考える力」を、失い、思考停止になるからです。そして、これに「権威」がくっついて来ると、明らかに、上から目線になってしまいますので、もう、鵜呑みしてしまい、「雁字搦め(がんじがらめ)」になってしまいます。
そして、ちまたに世間で騒がせている、さまざまな「出来事」も、「概念」「観念」「常識」「権威」「利権」が、絡み合っています。おどろおどろした、「闇の世界」も、存在しているかもしれません。
それでも、この世間で、私たちは生きています。それには、マドラーの心理学は、的を得ています。一つは、承認欲求を捨てることです。他者に褒められたいなど、もっての外、他人の期待「こんな人であるべき」は、捨てること、他者に支配されないこと、世間体に合わせないこと、そして、課題の分離をはかること。自分の課題に集中すること。他者の課題は、どうすることもできないことを知ること。そして、人生は競争ではないことを、ちゃんと理解することです。「他者」との比較ではなく、「理想の自分」と、比較すること。そして、「理想の自分」は、仲間に貢献することが出来ているのか。ここで初めて、生きている意味が、分かってきます。
うふふ。私も、そうありたいと、精進しています。やっと、年を重ねて解ったところです。感謝ですね。