すっかり秋の気配です。お山も、色づいて来ましたよ。

2019/10/23

すっかり秋です。今朝も赤トンボが網戸にピッタリくっついています。おぉ。ようこそと、写真を撮りました。昨日の余韻がまだ脳裏に焼き付いています。我が国の日本の象徴である天皇陛下のお言葉は、とても、印象深いものでした。『さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承致しました。ここに、「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。

上皇陛下が30年以上にわたるご在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御(み)心をご自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し、ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。

国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。』

日本の歴史を天皇抜きに語ることはできませんね。古代から現代へと、国の中での位置づけを変えながらです。天皇家は途絶えることなくつづいて来ました。江戸時代の幕末には、主に開国の時の、通商条約締結問題をめぐり国論が分裂しました。幕府と朝廷間の不一致の時代があり、1867年10月「大政奉還」により、政権を朝廷へ返上した。1868年3月~4月にかけて、「江戸城無血明け渡しが決定された。」1868年9月8日、年号が明7治と改元された。同月20日、明治天皇が東京(7月に江戸から改称)行幸に出発し、10月13日に江戸城にに到着。同時に名を「東京城」と改められ、東幸の際の皇居と定められた。ここから、首都機能が京都から東京へ次々と移転。東京城はやがて「宮城」(戦前)「皇居」(戦後)と呼ばれるようになったという。この度の、「即位礼正殿の儀」の為に、宮殿の松の間には、「高御座(たかみくら)」「御帳台(みちょうだい)」が、京都御所から、運ばれて、設置されたという。

私たち日本人は、我が国の歴史を、再確認し、賢い日本人になりたいものですね。