人生は、毎日が、選択の連続です。出会いは宝の由縁です。

2019/09/24

うふふ。今日は、仏教のお話をしたくなった。1500年前に伝来した仏教は、日本の文化を作り、日本人の心を豊かにし、日本の文化を形作って来ました。江戸時代には、日本は仏教一色で、お寺は全国に30万ケ寺もありました。それが、どれくらい多いかというと、現在あちこちで見かけるコンビニエンスストアは、4万強なので、何とそずの7倍です。江戸時代はそこら中、寺ばかりだったのです。ところが、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の弾圧で、10万ケ寺までに減ってしまいました。驚いた仏教の学者や僧侶は、この危機を何とか乗り越えようとしました。時あたかも明治の文明開化で、「西洋のものなら何でもいい」と、仏教学者たちは、キリスト教の文献学的な手法を仏教に持ち込んだ。ここからが大失態だったようです。お寺の僧侶たちも、最近は大学で仏教を学ぶケースが多く、学者達の影響を受けて、仏教の目的も、目的どころか、教え自体も分からなくなっています。その後も、仏教は、衰退を続け、現在は住職のいない空き寺を除くと、約5~6万ケ寺まで激減しています。わずか、150年位で、30万が、6万とすれば8割の寺が無くなり、わずか、2割になってしまった。つまりです。現代社会では、大学でも、寺でも、本当の仏教は分からないのです。うふふ。凄い世の中になってきています。そういう、私も、お寺に嫁いで、どうだったのか。考えさせられます。しかしです。私は、在家でしたので、お寺に嫁ぐことは、どういうことかも、全く無知の状態でした。嫁いだ時のお寺は、山奥の小さなお寺でした。本堂の法堂の床が法要中にずり落ちて、木魚や太鼓が落ちてしまったと。戸、障子も、うまく締め付けが出来ず、台風の時は、大変な思いをしていたと、聞いていました。亭主の方丈は、「10年後には、必ず本堂を建てると、燃えていました。」「念ずれば花開く」の通り、10年経った時に、本堂は、再建築されました。大祖母の「一事貫行」の掛け軸にも、感動ものでした。檀家さん、近所の信徒さん達のお手伝いぶりにも感動ものでした。その時、私は、このお寺は、人々の、心の支え殿堂なのだなぁと、気づかせてもらいました。寺族となり、溢れるほどの「禅語」が、私の心を揺さぶりました。特に、私は、仕事をしていましたので、仕事に生かすことができないものかと、日々の生活にも生かすことができました。そして、障がい者の人権についても、気になっていました。「随所に主と為せば皆真なり」も、「自分の人生の主人公は自分」も「一隅を照らす。これ則ち国宝なり」も、「人生の目的も、人生の生きる意味も」、全ての人に、とても大切な事だったのだと。その大切なことを、人々に伝えていくことが、仏教に求められていたのだと、気づくことが出来ました。

気づいたものから、私は、伝えていこうと思っています。こうして、「亀の子のつぶやき」に書かせていただくだけでも、少しはお役に立てていると、自負させてもらいますね。読んでくださってありがとうございます。