2019/09/18
私の所に、機関紙やどかりが、毎月一回15日発行で、届いています。その記事には、やどかりの里50周年を迎える夏~「あたりまえ」を活動の原点として~JDサマースクール「価値なき者の抹殺・優生思想」~私たちはどう立ち向かうか~。活動づくりで大切にしたいこと。やどかりの里の夏。メンバーと共に料理をして25年。やどかりの里の動き。やどかり日誌。編集後記。と、第三種郵便物許可で届いた。私は、実は、このやどかりの里の存在があったからこそ、社会福祉法人亀の子を誕生させることが出来た。やどかりの里は、日本でも、民間で先頭に立って、精神保健福祉の旗を翻して、前進している団体と言える。1970年8月15日に産声を挙げたという。私は、「金字塔」に値すると思える。 特に、精神保健については、法的手立てはゼロの状態だった。1995年(平成7)に初めて精神障害者福祉手帳が交付された。社会復帰施設整備資金についても、精神保健福祉法が成立してからの国権の整備資金だった。だから、「やどかりの里」の整備資金は、とても困難な状況が長く続いていた。私は、いつも、「やどかりの里」を、目指して、地方からでも、きちんと「手が挙げられる」存在になりたいと志を立てた。
そう思うと、「やどかりの里」は、創立してから半世紀を迎えたのだと、その輝きは、今も存続して、継続していると思うと、感謝感激である。その記事の中には、谷中輝雄先生・須藤守夫さん・と、親しくしていただき、我が家にも泊って頂いた思い出が脳裏に浮かぶ。そして、ありがとうございましたと、合掌してしまう。
私は、「出会いは宝」だと、思っています。それは、やどかりの里に出会い、谷中輝雄先生、須藤守夫さんと出会いました。そして、相田みつを美術館にも何度も訪れました。相田みつをさんの、「本物」の書を見つめて、「本物」は、やっぱり、私の心を虜にしました。そして、やっぱりそうだったと、合点をします。今回も、あぁ。「その時の出逢いが その人の人生を 根底から変えることがある」は、本当だったと。合点します。