2019/09/15
という事で、3連休の中日です。つい最近までは、おばぁちゃんがいましたので、敬老の日は、何かご馳走を作ろうと、いろいろしていましたね。何かおばぁちゃんがいないと、何か心もとない感じです。そう言う、私も、山形の孫から、島根のおばあちゃん👵ですと言って、ラインでその絵が送って来ました。アハハ❣️です。いつの間にか、「敬老の日」を、受ける側になっていたとは。トホホ❗️です。まぁ❗️こうして、お陰様で元気で、少しでも役に立てていられるのなら、感謝しないと、御先祖様に顔向け出来ないね。
さてさて、我が家の掃除と片付けです。亭主は、寺院だまりの座布団の片付けです。10枚ずつ重ねて袋に入れて、掃除機で空気を抜きます。すると、空気が抜けて、薄くなります。押入れに仕舞うのにかさばりません。本当に不思議だなぁと思いながら、私は、時代を感じています。なぜかと言うと、私が嫁に来た頃には、座布団が主流でした。だから「緞子」の座布団がいいねぇ。と、その緞子の座布団に座って、記念撮影をしたものです。10年ひと昔と言いますが、時代が昭和から平成に、平成から令和になれば、時代は確実に変わって来ています。その事は、「諸行無常」ですので、新しい時代にのって近代化している事になります。だから、我が家も、本堂にお参りに来られた方たちには、椅子に座っていただき聴聞してもらいます。寺院方にも、以前は、座卓でしたが、テーブルと椅子にしました。なので、座布団が要らなくなったのです。ござ座布団も要らなくなりました。その昔は、火鉢を出していました。そして、炬燵も出していたのです。炭を熾したりもしていました。うふふ。我が家でも、歴史を感じます。歴史好きな私は、ここで、とんと昔の、野山が気になるのです。奈良の都がなぜ、京都の平城京に移ったのか!その答えは、奈良の都の立地条件は✌️バッチリ良かったのですが、人口が増えると、食料、水、燃料が必要となる。特に、燃料は山に行けば、幾らでも採れた。しかし、その山にも限界があり、奈良の山は禿山になった。そうなんです。実は、ほんの昭和の頃も、山に入り、松葉や枝木を、取りに行き、家の背戸の木納屋小屋に運んだものです。だから、お盆さんが来ると、山にお花とりに入ったものです。女郎花もありました。山ゆりも、山に入ればありました。山に入っても、見通しが良く、何処までも見えていましたね。そのお山のてっぺんにお墓があったりしましたから、そのてっぺんに上がって、のどかな風景にうっとりしていましたね。うふふ。そのお山は、何と、高速道路がつくという事で、剥き出しになって、えぐられています。凄いね。時代を重ねて来ています。でも、過去があって、今があるのだものね。うふふ。昔があって、今がある。要は、「今」「今」「今」の、連続ですものね。
私も、ジュンテンド−にて、秋の花を求めた。鉢ものの、イワシャジン(ツリガネニンジン)。秋明菊。リンドウ。ラベンダーを、我が家に帰って、寄せ植えをしたところどす。お花があると、とても幸せな気持ちになるのです。うふふ。シンプルなのが一番ね。