2019/09/07
と、思っていましたのに。今日は、朝からとっても暑いのですよ💦🥵。それも、早朝の5時の三瓶山は、朝焼けで、とても素敵なのです。お空が茜色に染まりそれはそれは神秘的なのですよ。うふふ。この宇宙は無限大だものね。なんて、一人でうっとりするのです。案外と人間って🧑、単純なのですよ。こうして、この世に誕生させて貰っただけでも、私はラッキー🤞と思える私が居るのです。だってこの世に誕生しなかったら、この世は素敵だなぁなんて思う事も無かったでしょうからね。そして、ラッキー🤞と思える人間様になれた事も素敵でしょ。うふふ。自分一人で、そんなラッキーと思える自分になれたのは、この歳になるまでには、沢山の人達たちのお陰さまで、ここまで来られたと言えるでしょうね。だって赤ちゃんだった時は、全て親に、頼りきって安心して(親の絶対愛)(無償の愛)(赤ちゃんは、全て、お世話してもらえないと、何も自分でする事は出来ないものね。)大きくなります。さてさて、親から自立できるようになるのはいつなのでしょうね。私は、この頃思うのです。かわいい小さな子どもさんが、親からの虐待を受けて、死にいたる無惨な😭事件が多発しています。何とも悲しい事態に、一体どうしたものかと考えてしまいます。「躾けと、暴力」とは、全然違います。暴力は、どうも負の連鎖が続き、何代にも渡って繰り返されます。恨みは怨みを呼び、ますます、増悪を引き起こします。何処かで、断ち切る事が重要な事なのですが、とっぷりと窮地の中に入っていれば、その窮地の世界では、自分が一番の頂点にいて、自分が正しいと「天狗👺」になり、妻や子どもは、「悪」となり、その行いや言動は、命令調となり、恐ろしいかや、洗脳者となり、妻や子どもは、逆らえば、おぞましい事になる。であるならば、子どもからの、SOS🆘は、大人達の責務と言える。何故、その責務が果たせない世間だろうか。悲しい限りだ💔😢😭。なぜ、なぜ?この頃、余計に思う。私は、小学校の5年生か6年生の時だったが、教室には、黒板の上に大きな貼り紙がしてあった。それには、「1人が困っていれば、皆んなで助け合おう。1人でも、廊下に、ごみが落ちていれば、ひらおう。そんな学級にしよう。」のような標語を読み上げていた。今、思えば、障がいのある仲間とも、皆んなで助け合っていた。それは、ごく自然だった。時代が令和に成っても、「人として」は、変わらない。