あれれ。折角、亀の子のつぶやきを綴ったのに消えてしまいました。

2019/09/02

なかなかなのですよ。うふふ。あずっています。大田弁です。お気に入りのブログ拝見しましたら、目の前に聳える三瓶山での、松虫草なのです。わぁ。素敵です。私は松虫草を見ると、北イタリアのトリエステの高原列車を思い出します。高原列車に乗って、高原の街に入ります。その線路沿いには、かわいい松虫草がそよ風に揺られて咲いています。もう。高原の街は、アドリア海が一望できます。特にトリエステは、トリエステの精神病院の跡地があります。マニコミオ(精神病院の俗称)があったサン・ジョヴァンニ地区で、その広さはとても広大なものでした。かって精神病院だったとは思えない開放的な場所でした。まるで公園か、劇場か、レストランもあり、そこで働いているのは、当事者達でした。「自由こそ治療だ。」と、貼りボテの青い馬を曳いて、トリエステの街を行進したという。その青い馬も見ることが出来た。2012年の秋に行ったのですが、もう、7年も前のことですのに、私の脳裏には、今も鮮明に残っています。だからでしょうね。今朝も、今年に入って、「イタリア語プライベートレッスン」をずっと習っていたのですが、亭主の理事長の病気の為に、7月からお休みしているのです。そのイタリア帰りのkogimaさんから電話がありました。その彼女は、大阪生まれの大阪育ちなのです。ご両親が、定年後、この島根県の大田市にお住まいとのことで、大田にご縁があったようです。その彼女とは、イタリア帰りということもあり、私は、イタリアの精神病院がゼロであることをお話ししました。すると、彼女は、「そうですよ。イタリア人は、そのことを皆知っています。」「日本人は、先進国でありながら、精神病院の入院患者が断トツに多いことを、日本人は知りません。」と話してくれました。私は、その彼女の話を聞き、驚いてしまいました。

何故なのだろう? 私は、実は、7年も前にイタリアの「精神病院はゼロ」ですの話を折に触れて発言してきました。しかし、我が国は、一向に変わらぬ状況が続いている。私は、一体、我が国は、何処へ向こうとしているのかと、思ってしまう。

私は、歴史が大好きなので、歴史から真実の日本人が、見えてくるようになった。昭和20年8月15日終戦記念日なのであるが、実は、敗戦はしたのであるが、アジアの有色人種の解放が叶えられた時でもあったのです。あの当時は、アジアやアメリカ大陸は、奴隷制度があり、有色人種は迫害を受けていたのでした。明治維新の時も欧米列強に挑んでいた日本人がいたのです。「人種平等」を宣言したのは、日本人だったのです。これは、「世界初」のことをしたのは、日本人だったのです。我が国の、素晴らしい先人達だったのです。日本人は、アジアの希望の光だったのです。

日本人は、今こそ、目を覚まし、先人の遺徳に感謝し、日本の素晴らしい精神性を誇りに持つべき時が来ています。

その、イタリア帰りの彼女は、私に、「今のイタリア人は、日本人が今の難局をどう乗り切るのか、したたかに注目しています。」と。