今日は久しぶりに、日曜日美術館を観ることが出来ました。

2019/08/25

横浜に夢の庭園築いた、原三渓の物語△古美術収集5000点!でした。横浜の三渓園は是非とも観に行きなさいねと、恩師の先生から言われていましたのに、未だ行っていなかったのです。今日は、なぜ素晴らしいのか、そのいわれが分かったような気がします。だから、近々に行こうと考えています。原三渓という方が、明治生まれで、大正、昭和を生きられた方が、あの、明治時代の欧米列強の中で、日本の美しさを、何とかして残そうと、大正時代に、あの横浜の地に、「三渓園」を整備して、自由に拝観ができるようにした。美しいものは、皆んなで分かち合う。徳川家光が春日の局のために建てた館も移築されている。「庭屋一如」自然を楽しむ!囲われた楽園。「国華」国の誇り、古美術、原三渓の審美眼によるもので、「孔雀明王像の掛け軸」は、当時、井上馨の持ち物で有ったが、三渓が譲り受けた。三渓は、新たな日本画の為に、パトロンを何名も書生にし、日本の美術のために力を注いだ。美を語る芸術論を闘わせた。うふふ。なんか素敵だなぁと思います。またまた、御先祖様達の足跡を観ると、もっときちんと生きていかんとねと思いますよ。そして、午後からも、こころの時代、禅の知恵に学ぶ。〜典座托鉢〜いのちを頂くでした。ちょうど、曹洞宗の典座の事でしたので、あぁ!そうだ❣️そうだったねと、うなずく事ばかりでした。韋駄天は、台所の仏さんなのですが、なぜ、韋駄天と言うのか?は、もともと、インドでは、ヒンズー教が先に有り、韋駄天はヒンズー教のシヴァ神の子がお釈迦さまの弟子となった。韋駄天は走り回って食事の準備をする事で、韋駄天と言う。という事は、今、NHKで「いだてん」をやっていますが、足が速い事にも繋がります。面白いですね。そして、日本語では、食事を頂くと、「ご馳走さまでした。」と言います。その言われは、この韋駄天さんから出ている事になりますね。韋駄天さんのお働きによって、走り回って、食事を頂くことになるのです。「大きなお働きによって、食事を頂くのです。有難いですね。」だから、「ご馳走さまでした。」と言う事になるのですね。食事の五観の偈(食事五観文)がありますが、食事を頂く時の言葉なのです。「貪.とん、(むさぼり)。貪瞋.じん、(怒り)。癡、ち、(おろか)」いいか、悪いか、好きか嫌いかではなく、人間として、口汚く罵られても、何を言われても、自然の働きは何か、「何を学ぶか」が問われています。凄いなぁと、感激で〜す。いやはや、明治5年には廃仏毀釈があり、托鉢禁止令があったりと、しかし、「法の上の平等」として、托鉢行は乞食行として、たんたんとやって行くのが修行だと。いのちをいただくことの尊さを感じ事が出来た。