2019/08/19
うふふ。footworkいいでしょ。久し振りの定例会でしたので、ちょっぴりエキサイト気味だったかな。だってね。素敵なニュースがいっぱいでしたからね。先ずは、10月31日の石見銀山オペラ座公演が、東京公演です。当亀の子の職員の子供さん方が、出演します。
私も、是非とも行きたいと、チケットをお願いしたところです。そして、会長さんからのお土産で、七福神あられを頂きました。七福神の神様、7人の神様がそれぞれ袋に入って、7ケ、恵比寿さん・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋尊・寿老人・福禄寿が絵に書いてあるのです。それも、表面と、裏面がちゃんと描いてあるのです。要は弁財天は、唯一の女神の神様なのですが、着物を着て、ビワを弾いて、長い髪を垂らしています。その後ろ姿が書いてあります。着物姿で、長い髪が床まで届いています。うふふ。こんなちょっとしたことでも、嬉しくなるのです。人間様って、いいなぁ。って、思います。
そして、続きを書き込むことができます。どこまで、綴ったかしらと、日本列島は「北太平洋」上にいわば難航不落の城砦(じょうさい)のようにそそり立っていたと、いっていいのだ。南蛮(スペイン、ポルトガル)人も、紅毛(イギリス、オランダ)人も、露骨な攻撃を控えていた。寛永の鎖国に入る少し前まで日本は周知のとおり「御朱印船」を出していた。ある記録によると、マニラ湾に入ろうとすると、湾内ではスペイン船とオランダ船が交戦していた。日本の船が近づくと撃ち方止めとなり、しばし休戦状態になる。日本船舶は悠々と湾内に入り、必要な荷物を積んで静かに出港し、立ち去った後、再び撃ちあいが開始された。御朱印船は非武装で、いっさい武器弾薬を積んでいなかった。なぜこんな不思議なことが起こっていたのだろう。日本船は、トラブルに巻き込まれて被害を受けたら、その場で対処せず、帰国して長崎奉行に通報すれば良い約束だった。奉行は、直ちに交易停止処分にした。外国船はそれが怖いので、はれ物にさわるように日本船を扱ったわけだ。当時の日本は金銀銅の一大産出国で、自ら危険を犯してまで遠方へ船を出す必要はないと考えていた。加えて、「北太平洋」の開かずの扉が、日本列島を無言のうちに守っていた。
日本は、外へ拡大するのではなく、内に閉ざし、自分を護る方向を目指した。海上が騒然としてきた時代になんと武装を放棄し、対外防衛よりも国内治安を優先させる方向を選んだ。それは信じがたい規模で行われた。刀狩で集められた鋼鉄は、次々と寺の釣り鐘に鋳造されたといわれる。西洋では軍事技術が急速に発展していた時代に、関係文献の輸入は禁止された。信長と、秀吉の時代に世界最強の軍事大国であったこの国の突然の武装放棄は、世界史の七不思議のひとつである。それは世界史の側から見ての謎であるが、日本史の側から当時の世界の動きを見て今にして不可解と思われるのは、世界制覇の野心を覗かせていた信長と秀吉が南北アメリカ両大国の存在に気付かなかったことである。日本人の眼が列島の西側ないし西南方面にのみ向けられ、東側ないし東北方面はいっさい考慮の外にあったことの一つの例証である。うふふ。すごいですね。歴史は、途轍もなく、凄いことです。きちんと受け止め先人の恩恵を思います。次はまた今度ね。お楽しみに。。、