8月18日山陰中央新報のふれあいページ、教えの庭からを読んでもったいない」

2019/08/18

「我々はどこから来たのか」江角弘道住職の記事を読んで、令和になり、私たち日本人は、我が国の「立ち位置」を知るべき時が、到来して来たような気がします。私は、お寺に嫁いたので、よりそう思うようになったのかもしれない。いやいや、多くのメンバーに、出会って来たせいかもしれない。「幼少時の時から、あんちゃんは宝もの」「人の命は宝もの」と、私の精神的支柱は誰が何と言おうと、諦観していた。今回、この記事を読んでよりそう思う私がいた。仏教は、「私の命」を見つめる「命の教え」であると思います。生命科学者の村上和雄は、日本を代表する科学者で、遺伝子研究の第一人者である。「サムシンググレート」という言葉の生みの親として、「サムシンググレート」とは、「神」や「仏」や「天」などと呼ばれる人間の世界を超えた偉大な存在です。アインシュタインは「宇宙の真理」といい、マザーテレサは「サムシング.ビュ−ティフル(美しい何者か)」サムシンググレートは、人間だけにかなりの心の自由、考える力を授かりました。私は、広島市民病院の壁面に、書道か、「祈りは、自分を変える魔法のことば」と書いて あったのでその魔法のことばは、このサムシンググレートとの領域なのではと思った。となると、私は、いつも「見えない、天地宇宙のお計らいを感じながら生きているような気がしてならない。」何故かというと、このサムシンググレートと心を通わせる方法とは何か、それは、まず感謝する事なのです。日本語には、「ありがとう」「おかげさま」「いただきます」「ご馳走さま」「もったいない」と言ったひらがな言葉があり、これらはいずれも感謝の気もちを表す言葉です。実は、これほどの感謝語のバリエーションが多いのは、日本語だけです。日本🇯🇵 って、「神の手」とか、「神ってる」とか、サムシンググレートの言葉をいっぱい使います。そして、やるべきことをやって、後は天命を待つとかいいますね。なすべきことを成す。「人事を尽くして天命を待つ」とか、最善を尽くしてとか。日本語って、素敵です。