「終戦記念日」8月15日(^。^)戦争と平和🇯🇵平和で寛容な世界を❗️❣️

2019/08/15

台風10号が接近しています。ここ大田市も危機管理室からお知らせが入ります。私は、お盆さんは、お休みしていますが、亀の子 は稼働しています。すると、亀の子 から連絡が入ります。台風10号の接近のため、開所時間を変更します。午後2時で打ち切り、メンバーを送迎にて送り届けますとの事、はい!了解ですと、返事をした所です。どの時代でも、危機管理は必要な事です。しかしですねー。74年前は、とても大変な時代でした。全国民が、あの状況の中、必死で生きていた時代でした。亭主の相棒は、まさに、忘れ形見の「大事な人」「宝もの」でした。父親は南方のカラングァイで1945年7月1日に戦死と通報が届いた。残された家族は言い知れぬ苦悩を抱えていたに違いない、特に、曹洞宗のお寺だったので、父親がなくなる事は、お寺の護持が出来なくなることになり、大祖母、母親は、苦難の道を余儀なく踏むことになった。大祖母は、得度をして、戦争時代、戦後の時を、お盆には棚経に廻り、戦死と聞けば、お勤めに行き、耐えて来ていた。それでも、その状況を続ける事は出来ない事だった。同じ寺院方から様々な配慮があり、とうとう、昭和29年には、ご寺院の勧めがあり、あの当時、曹洞宗管長高階瓏仙禅師の侍者を務めていた小野山孝道氏に、「一つの寺を救うのも、仏道なり」と、曹洞宗管長に諭され、この瑞応寺に、入山された。いやはや、寺院の継承にしても、命がけだという事が理解できる。戦争がなければ、こんな事態は発生していない。となると、戦争は人類を滅ぼす物だと、現代人は知る必要がある。しかし、  しかしです。我が国の置かれている立場を見ると、何とも不甲斐ない想いを抱く。何故、先人達のご苦労を、我が身に置き換えて平和な寛容な世界に、向けていく事は、難しいのだろうか?先人達のご苦労を思うと、私はやるせない。私は、私のできる得る限り、先人の報いに恩返ししたいと思っている。