わぁ!凄い。木彫りの仏像さまが、私の手元に届きました。

2019/07/08

今朝は、昨日作ったまき団子を持って、ふぁみりーわーくの職員分と、遊亀館の職員分と、工房・のほほんの職員分をそれぞれ持って行き、食べて貰ったところです。まだまだ、足りないのですよ。保育園の職員分と、かめっ子職員分は、今度にすることにします。すると、部長から、「施設長!松江の土江コーディネーターさんから、お土産ですよ。前に、頼んでおられたようですよ!」まぁ!何でしょう。直ぐに開けてみました。木彫りの仏さまです。もう!大感激です。木彫りですので、何とも、素朴な感じで、木の温もりを感じます。なんて素敵なことでしょう。うふふ。撫でまわします。

昨日の事です。新聞の記事がとても気になりました。読者のふれあいページに、役に立つ命と役に立たない命として、出雲市斐伊川町・仁照寺住職の江角弘道さまでした。詩の紹介でした。作者は、山田康文君です。彼は、1960年に奈良県の桜井市で生まれました。難産で生まれたためか、康文君は脳性麻痺でした。お母さんは、康文君を産んだことに悩みぬいて一緒に死ぬことを考えました。しかし、死を押しとどめたものは家族ぐるみの愛と康文君の強い生きる意欲でした。康文君は8さいで、奈良の明日香養護学校に母子入学しました。そこの向野幾代先生が、康文君の気持ちを表現しようと試みます。大変な苦労で、詩を完成させました。

詩の冒頭の「ごめんなさいね お母さん」だけで1ケ月かかったといいます。

お母さん ぼくが生まれて ごめんなさい (山田康文 文・作)

ごめんなさいね お母さん ごめんなさいね お母さん  ぼくが生まれて ごめんなさい ぼくを背負う お母さんの細いうなじに ぼくはいう ぼくさえ 生まれてなかったら 母さんの しらがもなかったろうね 大きくなった この僕を背負って歩く 悲しさも「かたわな子だね」とふりかえる 冷たい視線に泣くことも ぼくさえ 生まれなかったら ありがとう お母さん ありがとう お母さん お母さんが いる限り ぼくは生きていくのです 脳性麻痺を生きてゆく やさしさこそが 大切で 悲しさこそが 美しい そんな 人の生き方を教えてくれた お母さん お母さん あなたがそこに いるかぎり

「命の視点」とは、「役に立つか、立たないか」ではなく、「仏さまに生かされている存在」であることを知ることが大切ですね。

しかし、現代社会は、どうも「命の視点」が、何処か迷っているような気がしてならない。「命は宝物」を、再度確認する時代だと、凄く思います。