人間ていいものだ。金澤泰子さんの記事を読んで!

2019/07/01

金澤泰子さんは、1943年生まれだから、今は76歳に、その娘さんは、1985年生まれの翔子さん。34歳です。もう!日本中の皆は知っている彼女の書は、もう!素晴らしいですね。その翔子さんは、今は、一人暮らしです。お母さまは、こう話しておられます。翔子は千人に1人この世に生まれるダウン症者。お母さまの泰子さんは、翔子さんが障がい者であることを長い間哀しんでおられましたが、今では千人に1人ぐらい、このような無心な娘がこの社会の中で生きる必要もあるのではないかと思うようになったとか。翔子さんは、朝早く、寒空の下で一心不乱に1人で落ち葉掃きをしていた。その姿を見た、お母さまは、部屋で暖かくしていれば良いものを。手を凝らせて街の掃除をするなんて、奉仕などという言葉さえ知らないだろうに、私が教えたことでもないのに、一体何に駆られているのだろう? 3歳の頃にも、こんなことがあった。保育所で皆が暖かい部屋で父兄の迎えを待っているのに、翔子だけ一人冷たい雑巾をを持って下駄箱の掃除をしていた。これまでも、このような翔子の奉仕する姿を何度も見てきた。きっと、これは教えられたものではなく、翔子に根ざす本能なのだろう。人間は本来、その体の裡(うち)に奉仕の心をもっているのだと思った。たかが落ち葉掃きだけれど、寒中での真剣な行為に、何か厳粛なものを見た気がした。「人間ていいものだ」と思った。そんな翔子は社会の仕組みがわからないので、世俗への欲望がまったくない。お金も名声も何もいらない。けれど周りのすべての人たちが幸せでなくては困ってしまう。翔子は持てるものすべを他の人にあげて、あげ果てる。自分を捨て果ててしまい、皆の幸せな姿を見て幸せになれる。この行為はまるでに思えるだろう。しかし、私はこのことを嘆かない。欲望がなく優しい心には大きな恵みが降りてきて、周りの人の幸せを具現している。「無心」の心には無尽蔵に恵みが降りてきて、豊かに幸せに生きられるものだ。私は、この記事を読んで、「わぁ!なんて、素敵なお母さまなのだろう。」こんな風に、わが子を、豊かな心で受けとめられるなんて、お母さまこそ、天使のような方だと、尊敬したところでした。そう思うと、私の身近にも、天使のような方が、いっぱいいらっしゃるなぁと、感じています。うふふ。そう思うと、「人間って、いいものだ」と、私も思いました。