アハハ!ミステイクでした。15時30分からでした。

2019/06/12

令和元年の新職員社内研修を開催することになりました。第1回は就業・倫理・虐待・人権等についての研修会で担当が、坂根部長と長尾次長でした。そして、第2回が6月19日で法人の歴史・理念についてを、私が行うことになっていました。それが、急きょ、第1回と第2回を入れ替えることにしたのです。それも、時間帯を15時30分からとしていました。私はあわてんぼうで、13時30分と思い込み、研修室に行きました。だぁれも来ないので、あれれ!後で気づくあんぽんたんでした。全く、いい歳をして、情けないことでした。出直したところです。面白い、なるほどなぁの記事を見つけました。紹介しましょう。稲盛和夫氏も実践です。仏教徒でなくても心に留めるべき「釈迦の説法」、「人類の永遠のテーマ」と言うべき問いに稲盛和夫氏の回答です。幸せを掴む心のあり方で、稲盛和夫氏と五木寛之氏との共著『何のために生きるのか』の出版記念講演会にて、稲盛和夫氏の発言です。『私は、このたった一回しかいない人生を、精の限り、魂の限り、一生懸命に次ぐ努力をしていこう、そしてその成果を周囲の人たち、いや地球人類のために使っていこうと思っております。そのようなダイナミックな生き方をしながら、世の中にお返ししていくことこそ、生きる目的ではないかと思っているのです。」その講演録の記事が載っていました。お釈迦様が説く、人生で一番大切な事。お釈迦様は、生きて行く人間にとって一番大事なことは利他の心であると説きました。お釈迦様の心の神髄とは、慈悲の心です。思いやりを持った慈しみの心、それがお釈迦様の心の神髄であります。この心は、他のものを少しでも助けてあげよう、よくしてあげようと思う心です。そうした心をもって生きて行くことこそが人生の目的なのではないか。つまり、利他の行為を行うことが、人間にとって、まず一番に大事なことだと思うのです。では、利他の対極にあるものは、利己の心です。自分だけよければいい、と言う心です。このような利己の心を離れて、利他の心で人様を善くしてあげようと言う心で人生を生きていく。それが生きる目的だと私は思っているのですが、実は、これは口で言うほど簡単ではありません。

利他の心を持って人様に美しい思いやりの心で接しようという考えで人生をいきていこうと思えば、まず、現在生きていることに感謝をするという心が起こって来なければいけません。次に、そのような感謝の心が芽生えてきますと、自然と自分自身がどんな環境にあっても幸せだと思える心になっていくはずです。「いや、私は決して幸せではありません。大変不幸な人生を生きています。」とおっしゃる方もおられるかもしれません、がこの世の中を見渡せば、そういう方よりももっと不幸な境遇の人もたくさんおられるはずです。そう考えれば、親兄弟が一緒にいられるだけでもしあわせではないかという感謝の念が湧いてくるはずです。つまり、どんな境遇であれ、心のあり方によって幸せはそれぞれに感じられるものなのです。そう感じるようになるためにも、まず最初に、現在こうして生きているだけでもしあわせだという感謝の念が起こってくることが大事なのです。

そのようにして自分が幸せだと思えるようになってきますと、さの次には当然、他の人にも親切にしてあげたいという思いやりの心が生まれてくると思います。またそういう心が起こって来なければいけないのです。

したがって、利他の心を持つためには、まず自分がいきていることへの感謝の心を持たなくてはならないというわけなのです。凄いですね。そして、「わたしが」にこだわっていると、正しく見えず、他を認めない事になります。本当に大事なのは何か。そこには、真実を見る大切さが忘れられていないか。(中村元・慈しみの心からでした。)