令和になり、何かが変わり始めたような気がしますよ。

2019/06/05

今朝も早朝散歩から始まります。私が歩き始めて、県道の道を行くと、急に「鳶(とんび)」が、飛び立ちました。まぁ!トンビさん。お早うと、手を挙げると。間もなくすると、「ピィヒヨロ~♪ ピィヒヨロ~♪」と、大空を舞ってくれました。うふふ。素敵でしょ。もしかして、感応同行しているのかもね。こうして、自然界の中を、悠々と散歩できることに感謝いっぱいなのです。

しかし、ニュースでは、凄いニュースが流れています。「ひきこもり」を見守る家族、親が、心を痛めています。家族だけで解決しないで、支援団体に呼び掛けてはいますが。5月28日に、川崎市登戸駅近くで起こった殺傷事件があり、その後の6月1日東京練馬区では、元農水省事務次官の父親がひきこもり傾向の息子を殺す事件が発生した。私は、その事件の発生を見て、我が国は、まだまだ、世間体を気にして、オープンに、ありのままに生きて行くことが、とてもできにくい環境なのだなぁと、それが、差別偏見に繋がってきているのだなぁと、ネガティブ思考に陥り、閉塞的な社会になりかけていると感じます。と言うのは、地方の田舎でも、閉塞的な社会は、どうしても、差別偏見が温存され、事なかれ主義に陥ってしまいます。大田市では、平成16年(2004年)に、障害者支援対策の対応が障害者を軽蔑・排除に追いつめた対応により、親が我が子を殺めた事件が発生した事件があった。今回も、元農水省事務次官の父親が「周囲に迷惑をかけてはいけないと思い、自分が息子を始末しなければ。」と。私は、もう、残念でたまらない、当大田市で、発生した事件から15年経過していても、まだまだ、我が国は、一向に、埒が明かない状況にある。私は、あの時の思いを、嘆願書にしたためて、発言したことがあったが、一向に進んでいない。ここに、列記して見たい。「・・・・・・現実の社会の中では、まだまだ、根っこの部分で、「差別・偏見」が強く横たわっています。その矢面に立っているのはいつも当事者と家族であることをもっと認識すべきであり、「自分の事として」考えて行ける社会になれば、もっと安心できる生活を実感し、バリアフリーなれるのではないか。病人であるまえに「人として、一人の人間として」世間で生きていきたいという当事者の切なる願いは、世間にはなぜ届かないのでしょうか。「基本的人権の尊重」である人権侵害についても、当事者・家族の言葉に言い尽くせぬ苦悩をお察しいただきたい。」2004年の嘆願書から。