お早うございます。今日は、とっても新緑の美しい日を迎えています。

2019/05/02

とんと昔の事です。昭和の事です。5月2日に、まだ舗装のされていない、大田から山口に向けて、背の高いタクシーに乗り、ここ長久町から山口町にお嫁に行きました。快晴の素晴らしいお天気のいい日でした。先頭をタクシーは、走りましたので、砂ぼこりは、しなかったのですが、後者のマイクロバスは、親族を乗せていましたので、砂ぼこりの中を走りました。境内の霧島ツツジが真っ赤に咲き誇り、とても見事でした。そして、平成に入り、丁度、この季節に、長男はお嫁さんを迎えました。その霧島ツツジは、新しいお庭に、植え替えられ、今、咲き誇っています。私は、明治生まれの大祖母、大祖父に、大正生まれの両親に、大正生まれ叔父伯母に、囲まれて、大家族で育てられてきた。昭和の戦後生まれ、どの家族も、裕福な家は、皆無だった。みんなが、ビニールの短靴だった。ゴム草履だった。おやつは、夏豆の炒ったのだったり、家に成っている夏みかんだったり、ナツメだったり、野にある、ずい葉だったり、がじっぽ(イタドリ)だったりした。しかし、みんな、元気いっぱいだった。夕方まで、遊びほうけていた。さてさて、あれから60年、時代は、昭和から平成になった。平成生まれの、子ども達が、当亀の子にも利用し始めた。そして平成が終わり「令和」の元号となり、どんな時代にして行くか、一人ひとりが、しっかりと、考える時代に突入したような気がしてならない。そこで、今日は、凄い著名な佐藤先生のお話を伺うことができた。それは、凄いお話だった。我が国は、戦後、グローバリズムそして、新自由主義を肯定し突き進んできているが、このままの路線で行けば、衰退しヤバい事になると、1989年(昭和64=平成元年)「一杯のかけそば」の泣ける話が話題になった。一杯のそばを3人で食べた。あの時代は、もう、貧困はないよといい、皆が豊かになった時代が来た。しかし、2010年代に入り、貧困問題、貧困事情にて、「年越し派遣村」が今。次の時代にどうするのかと問いかけている。どうも、違うようだ。今までの路線では、益々、我が国は衰退して行く。では、どうすればいいのか。日本を豊かな国にして行くのには、「富国強兵」の国にして行くことが、大事だと言うことに、舵を切り変えないとまずいことになる。しかし、今の国民は、「貧国弱兵」と、なってきている。なぜこんなことになったのか。それは、ナショナリズムを否定し、グローバリズムに巻き込まれ、新自由主義を突き進んできてしまった日本人が出来上がっている。今、「令和」になり今こそ、我が国がどうあるべきか、真剣に考える時代の到来だと言える。色めがねをかけず、今こそ、我が国の歴史を知る。我が国の経済を知る。我が国の文化を知る。そして、はっきりとしたビジョンを持つことが大切ではないか。日本とは何だろうか。認識を転換する時ではないだろうか。どうも、我が国は、平和ボケしていたのでは、ないだろうか。

「ボーっと生きてんじぁねーよ!」のチコちゃんに叱られます。の、時代ですね。一人ひとりが目を覚ましましょう。