すっかり、芽吹き始めて、野山は若草色に変貌です。

2019/04/22

今日は、社会福祉法人放泉会の「もえぎの里」の機関紙が届きました。新元号の紹介にて、万葉集から引用されたことが、載っていました。また、さわらび苑も、万葉集の一節から命名されたとのことで、素敵だなぁと、感じました。「いわしばる 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌(も)え出(い)づる春に なりにけるかも」~早春に芽を吹きだしたわらび(早蕨)のように確かな息吹で~なんて、素敵なのでしょうね。今、ここ大田地方の山野も若草色に染まり、素敵な春を迎えています。今朝のお気に入りブログも素敵です。俳句なのですよ。

☆自然林 芽吹きの音の 聞こえけり  ☆ さえずりや 忍者の如く 小鳥飛ぶ

☆囀りの この枝あの枝 忙しき  歩地爺 三瓶山の中国自然歩道なのですよ。ちょっと、山の中に入ると、山野草が咲いています。ミヤマカタバミ草、タチネコノメ、スミレサイシン、エンレイソウ、ヤマエンゴサク、スプリングエフェメールの世界ですね。春の妖精達が、とても可愛いのですよ。私も、我が家の、ショウジョウバカマ(猩々袴)があまりにも可愛いので、写真を撮りました。

今日は、「貪瞋痴」の瞋恚のお話をしましょう。三毒の煩悩の中の一つです。

瞋恚とは、怒りの心です。「怒り」という字は、心の上に奴と書いてありますように、心のまな板の上で、「あの奴、この奴」と、相手を切り刻んでいる心を言います。欲が妨げられた時に、カーッと腹が立ちます。そして、真っ赤になって怒りますので、炎に例えられたり、赤鬼に例えられたりします。なぜ炎に例えられるのかといいますと、今まで、築いてきた、人間関係も、財産も、この怒りの炎で一瞬のうちに焼き払われてしまうからです。

怒りは理性を越えていますので無計画にスタートしてしまいます。そして、やってしまった後は、必ず後悔に終わります。怒りは、自分の体にも悪いのです。よく、街頭で口喧嘩を始めて、いよいよ殴りかかろうとした時に、バッタリ倒れて死んでしまったという話を聞きます。腹を立てると、血液がドロドロになるそうです。そのドロドロになった血液が腹を立てて震えている人の震えや、失神の原因だそうです。それで死んでしまう場合もあると言うことなので大変です。笑顔や笑いは健康にいいという話を聞きますが、怒りは、悪いのです。しかも、怒りは、どんどん移って行ってしまって、みんながひどい目にあうのです。だから、怒りの蛇を、口から出すのは下等の人間。歯を食いしばって口に出さないのが、中等な人間。胸に蛇は狂っていても、顔に表さないのは、上等な人間である。そうですよね。イライラした人がいると、同じ部屋にいる人もイライラしてきますので、怒りを他人に感じさせてはいけないと言うことですね。そこで、お釈迦様は、「ののしられたとき、ののしり返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。闘いを挑(いど)めば闘(たたか)い返す。それらは与えたものを受け取ったというのだ。しかし、その反対に、なんとも思わないものは、与えたといっても受け取ったのではないのだ」それでは、お釈迦様、いくら悪口言われても、腹が立たないのですか。すると、お釈迦様は、「知恵ある者に怒りなし。よく吹く風荒くとも、心の中に波たたず。怒りに怒りもって報いたるは、げに愚(おろ)か者のしわざなり」私は、このお話を聞き、なるほどと、思いましたね。私は、よく「柳に風」と、流してきましたね。そして、「売り言葉に買い言葉」は、しないようにしてきましたね。だから、人から意地悪や悪口を言われた時には、やり返さないことにしていました。では、何故、私たちは腹を立てるのでしょう。原因は何だと思いますか?欲が妨(さまた)げられただけなのに、「自分が正しい」と思っている心が原因なのです。自分の欲望が妨げられたということは、自分に都合が悪いと言うだけのことです。それを色々理屈をこねて、自分が正しい、自分が正義だと自惚れ(うぬぼれて)いるのです。 だから、自分が正しいと、自惚れて、腹を立てて得することは何もありません。自分が間違っていたと、自分を反省することによって、向上があるのです。心の方向転換をすることによって、円満になります。「自分が世話をしている」というのを、「世話してもらっている」に心を方向転換しましょう。

「自分が堪忍している」「自分が我慢している」というのを、「堪忍してもらっている」「我慢してもらっている」と、心の方向転換をしましょう。「自分が頑張っている」を「相手が頑張っている」「みなさんに頑張ってもらっている」と、心の方向転換をしましょうと言うことです。