お早うございます。今日が最終年度のお仕舞いの日です。

2019/03/29

平成30年度の最終の日なのですよ。ほんに、あっという間だったような気がいたします。うふふ。面白いものですね。何事も、おもしろいと、とらえると、人生がおもしろく楽しくなっていくようです。私は、今年度も、さまざまな事に出会い、さまざまな書物も読み、「なるほどなぁ。本当だなぁ。」と、思うことが山ほどありました。新しい出会いも、いっぱいありましたね。本当に、「出会いは宝なり」を重ねてきたように思います。不思議なんですよ。こうして、年を重ねれば重ねるほど、宝がザックザックなのですよ。うふふ。勿論、お金ではないですね。となると、この間の、小学5年生のすみれちゃんの「本」と同じだなぁと、合点です。

でも、この頃、とんでもないことが、頻発しています。何故なのかと、私は、考えます。昨日もそんなことを書いた気がいたします。人生の目的をちゃんと、分かっていないのではないかなぁって、思います。もともと、生きることは苦しいものです。四苦八苦です。「四苦」は、「生・老・病・死」ですね。「生きる苦しみ・老いる苦しみ・病の苦しみ・死の苦しみ」ですね。これプラス、「愛別離苦(あいべつりく)~愛する人や物と別れる苦しみ・怨憎会苦(おんぞうえく)~会いたくない人や物と会わねばならなぬ苦しみ・求不得苦(ぐふとっく)~求めるものが得られぬ苦しみ・五陰盛苦(ごおんじょうく)~「五陰」は肉体のこと。肉体あるが故の苦しみ。前の七つを総括したもの。このように、私たちは、必ず人間として生まれて来たからには、必ずこのように苦しみながら生きて行くのですが、もし目的なしに生きているとすれば、苦しむために生まれて来ていることになってしまいます。しかも、最後には、最も苦しい死が、必ずやってきます。これでは私たちは悲劇に向かって生きているようなものです。ところで、政治や経済、科学、医学、芸術、法律・・・その他、人間の営みのすべては、私たちが少しでも快適に、長く生きるためにあります。つまり、生きるための手段です。ここで、手段はは目的によって、良くも悪くもなります。原爆の父オッペンハイマーは、とうとう原爆を完成し、1945年8月6日、午前8時15分、広島に落とされました。同じく、長崎に8月9日午前11時02分に落とされました。沢山の悲劇が生まれました。ですから、目的を果たすものを手段といいますので、目的と手段の関係は、目的あっての手段なのです。

ここで、アインシュタインの言葉に、「宗教なくして科学は不具であり、科学なくして宗教は盲目です。」だから、いつも、使う人間の問題なのです。

生きる目的を知らなければ、政治も経済も、科学も医学もまったく意味がなくなってしまいます。

それなのに、みんな目的を知らずに、手段ばかり一生懸命。生きる目的を知らずに、苦しんでいます。仏教では、人間に生まれてよかったという生命の歓喜がないのは、生きる目的と手段の違いが分からないからだと教えられています。さてさて、生きる目的は、幸福である。「遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや 生まれけむ

遊ぶ子どもの 声聞けば 我が身さへこそ 揺るがるれ  (梁塵秘抄)」「いろはにほへとちりぬるを よたれそつねならむ ういのおくやま けふこえて あさきゆめみし よひもせず 」