お早うございます。春うらら♪桜のつぼみもふくらんで♪

2019/03/28

お気に入りブログ拝見です。いきなり、梅原猛氏の「人麻呂の 悲しみ残る 五十猛の 辛の埼(大崎ケ鼻)をここと定めんか」歌でした。すると、「人麻呂の 別れ惜しみし 春の海」 歩地爺 とか。私も返歌しました。

「悠久の 古代からなる 我が郷土 いつの浮き世も 春の海かな 」亀婆でした。うふふ。楽しいでしょ。なんてね。私は、こんなにも、朝から素敵な一日を迎えようとしていますのに、浮き世のニュースを見ると、とても悲しい出来事が、頻発しています。「どうして。何故、そんな惨いこと。何で、そんなことするの、何で、何で、」と、私は、摩訶不思議な現象に驚いています。何も罪もない、関係ない人が、突然、襲われるなんて、地獄絵を見るようです。何故、そんなことが起こるのか、私なりに考えてみました。私は、常々「生きる意味は幸福である」と、言ってきましたので、そこのところが、根本的に狂ってしまったのではないかと、思います。そして、「人として生きて行くことは、その生きて行く目的がいい加減」なのではないかと、とても残念に思う。「人として」誕生した命を、自分で、その命の尊厳を自分で侵していることになる。この世に誕生した意味も、理解していない事につながる。悲しいかな。ここで、六道輪廻のお話をして見ましょう。六道は死後の世界の話ではなく、生きている時の心の状態と、とらえています。とても分かりやすいお話ですので、少し付き合ってくださいね。

「腹が立った時が、地獄の心、慈悲の心が起こったら仏の心、極楽の心」と、思うかもしれませんが、うふふ。仏の悟りは、そう簡単に開けるものではありません。1回開いたのにすでに崩れて地獄になってしまうような儚いものは、仏の悟りではありません。地獄は本来、そんなに簡単には抜け出られません。確かに六道は、一人ひとりの心の中にあります。しかし、地獄や極楽が心の中だけで、死後にはないという人は、本当の事は知っていない事になります。六道は、今の心の中にあるのですが、今の心の中にあるから、死後にもあるのです。うふふ。仏教の根幹は「因果の道理」です。現在の心の「因」として、死後の「果」を生み出します。現在の心の六道が、死後の本当の六道を生み出します。死後にあるのが本当の六道です。うふふ。凄いでしょ。私たちは、果てしない遠い過去から、生まれ変わり死に変わり、車の輪が果てしなく回るように、「六道輪廻」を繰り返していると言うことです。では、六道とは、六道とはどんな世界かというと、全ての生き物は、自ら生み出した自分の世界に生きています。ですから、普通は万人共通の宇宙があって、その中にみんなが生まれてきたと思っていますが、そうではありません。みんな自分が生み出した世界に生きていますから、命の数だけ世界があります。そのために、この世でも、あの人は人間なのに、上野動物園のダチョウに似ている、という人もいれば、キリンに似ている人もいます。

たとえ同じ町に住んでいても、見えている景色は人によって全然違います。ところが、それでは分かりにくいので、お釈迦様は、全ての域とし生けるものを、6つのカテゴリーに分けられています。

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つです。これを「六道(ろくどう)」と言います。

この6つの世界は、天上界を含めていずれも迷いの世界です。さて、六道はそれぞれどんな世界かは、今度お話することとしましょう。