悠久の我が町。長久町です。

2019/03/12

私が誕生した町は、その昔は、長久村でした。広大な田代(でんだい)が拡がる村でした。面白い地形で、ちょうどイタリアの国の長靴のような形をしています。北側には鳥井町、東に久手町と、大田町があり、南には久利町があり、南には静間町が境界線になってます。その真ん中辺りに、金剛山安楽寺が聳えています。今日は私のお気に入りブログには、その金剛山安楽寺からの三瓶山が見え、長久町の稲用田代が一望できる素晴らしい景色が載っていました。私が小学校の頃には、その場所は、「こんごせ」と親しみ、遠足に出かけていましたね。そこで、「こんごせ」の由来を調べてみました。いやはや、驚きです。遥か昔の平安中期から存在していたようです。山岳修験者の使者である二つの鬼の一つが、生まれたと伝えられている鬼村があると言う。実際に鬼村は今でもその地名は残っています。そして、鬼の爪痕と呼ばれている奇岩も現存しています。村の人々は、それを大切に保存活動をされています。私もそのエピソードを知って驚きです。いやはや、悠久の昔から今に続いている私たち、凄いことですね。実は、私のお里にも、修験者の行者さんの、祠(ほこら)があったといいます。どうも江戸時代の末期の頃には、その祠(ほこら)のお堂が、お屋敷の外に安置してあり、村の人々への祈祷もしていたようだと、生前の母親は、とても気にしていました。母親生前中に、母親から聞いていましたね。現在は、その「祠」は、お仏壇の隣に安置してあります。そこには、黒光りした仏像と、錫杖(しゃくじょう)と、金剛杖(こんごうづえ)も、置いてあります。なんか、素敵な運命を感じますね。

さてさて、現実に戻ります。館内放送が流れます。「火災が発生しました。避難して下さい。避難誘導をしています。直ちに逃げてください。」 私も、赤い旗をもって、誘導します。消防訓練開始です。亀の子工房、タートルホーム、「のほほん」、遊亀館もです。全員無事に避難できました。