「老い」を受け入れた時、人は命の「真理」に近づく。

2019/02/20

なるほどなぁと、合点です。というのは、若い時は、皆さんもそうだと思いますが、死とか老いとか。自分とは無関係だと思っている人が多いと思います。人間は必ず死にます。という理屈では、分かっていますし、頭では分かっている人が多いです。そして、子どもを育てる時には、子どもの事で、中々、そこまで考えていなかった。しかし、年を重ねてくると、父親だったり母親だったりが、病気になり認知症になったりします。その事は、人生に起こる事実として、認知症の父だったり、母だったりを介護するようになったりします。それは、人間の人生において、真理として、「生老病死」は、避けては通れない事実なのです。まっとうな人間として、老いをちゃんと見つめることができることが大切です。そして、いずれは、私も老いて、認知症になるかも知れない事を知ることが大切です。そうすれば、認知症になった、父親母親は、いずれは私の姿だと受け入れることができる。ありのままに、受け入れ、老いては、「赤子」に戻るならば、その生を見届けることが出来るであろう。見届けた私は、心の安寧を得ることが出来るであろう。それが、「徳」として、「魂」に積まれることだろう。

私は、この話を聞き、日めくりに、こんなことが書いてあった、生きている内に、生きている目的をつかみなさいよ。目的をつかめば、幸せになれますよ。世の中には、三人の天使がいます。一人の天使は、腰の曲がった老人さんです。一人の天使は、病気で寝たきりの状態の天使です。一人の天使は、もう、すでに亡くなって死んでいる天使です。 ということは、人間は必ず、「生まれて、老いて、病気になって、死にます」と言うことなのです。

当たり前のこと、真理なのです。でも、人間さまは、その事を置き去りにしています。さてさて、気づいたものからです。