今日もてんてこ舞いでした。

2019/02/13

今日は、もう朝からてんてこ舞いでした。それでも、施設長を訪ねていただくことは、とても嬉しいことです。

群言堂の本店に勤務しているMさんが来てくれました。主に研究所勤務なのですが、面白い話をしてくれました。

群言堂さんは、「田んぼクラブ」があるのですよ。僕は「田んぼクラブ」には、所属していないのだけど、去年の稲刈りは大忙しで大変でしたので、「田んぼクラブ」に所属していなくても、つい「手伝いたいなぁ」と、思って加勢したのですよ。とても楽しかったですよ。私は、そんなMさんを見て、凄いなぁ。「田んぼクラブ」ではないけど、ついつい、加勢したくなるなるなんて、Mさん!すっかり「群言堂」の社員さんだね。私は、松場登美さんと、お友達なんだけど、彼女の「暮らしを愉しむ」姿勢は、素晴らしいと思うよ。特に、阿部家の薪で炊いたご飯を、△むすびにして、お供えしている姿は素敵だよ。今の社会は、経済優先を先行しているけど、群言堂さんは、暮らしを愉しむとは、文化を継承するを0,1だったかな、優先しているんだよね。まぁ!そんな会社は、中々無いよ。それが、群言堂さんの魅力だよね。なんて、ついつい、大話をしてしまいました。すると、今度は、久しぶりに来たよと、言って、Aさんがやってきました。彼女も素敵なおばあちゃんになってきました。「私は、今まで自分の言いたいことを我慢して来たけど、我慢することは、辛いです。」「言いたいことって、何を言いたいの」

そこで、「我慢」と、「祈り」とは、違うよ。と話をしました。今思えば、もっとわかりやすく話してあげればよかったかなと、思いましたので、少し具体例をお話します。例えば、子どもが受験生の場合に、子どもに、「勉強をしなさい」と、口うるさく言うと、子どもは、厭になってますます勉強に身が入らない。そんな時、親は、どうするのでしょうか。がみがみと言うのを「我慢」するのでしょうか。ここがポイントですね。親のがみがみは、親が子どもの事を心配して、親の心が不安感を持つことになり、それを解消するために「がみがみ」なのです。これでは、子どもを本当に心配していることになりません。子どもは自分の事ですので、自分がその難関を一生懸命頑張ろうとしています。だったら、親は「がみがみ」言うことは、害になります。してはいけない行為になります。

ではどうしたらいいのか、親は、子どもの頑張りを、見守ってやらなければなりません。黙ってです。その方法が「祈る」ことだと言えます。 私は、例え嫌いな人でも、「祈る」ことをすれば、心が平安になります。

ということは、いつも、自分の心を平安にすれば、ちゃんと「祈り」が通じるようになるのです。

心を騒がせない事ですね。今ある自分に感謝すれば、自ずと心が整います。

そうしたら、夕方でしたが、Tさんから、とても嬉しい電話が入りました。そして、またまた、嬉しいことに、アフリカのケニアの「シロアムの園」の公文和子さんから、メールが来ました。同じ、ケニアの菊本照子さんともお知り合いでした。