三連休ですね。ボケーと生きてんじゃねぇぞ!

2019/02/09

チコちゃんに叱られる⁉️をテレビで見ました。私は、ここ最近、この「セリフ」が、とても今の時代に、ピッタリだなぁとつくづく思い知らされます。と言うのは、私は2012年9月末〜10月初め、7年前の事なのですが、イタリアの北イタリアのトリエステからベネチア、ヴェローナ、フィレンツェ、などなど、ローマにも、10日間、巡り歩いた。あの時、バザーリア法が制定され、イタリアの精神病院は、30年でゼロとなった。その事が、私には信じ難いものが有った。「百聞は一見に如かず」だった。そして、驚いた事には、イタリア人は、精神病院がゼロだと言うことを、誰もが知っていた。私は、イタリアから帰ってからは、折にふれて、我が国の実態を話して来た。我が国は、先進国でありながら、精神病院入院患者は、世界で一番多いのである。そして、我が国の日本人は、その実態を知らない。「えっ!そうなのですか。」と、全く無頓着なのです。ここで、日本人の平和ボケと言われる現象が起きていると言わざるを得ない。私は、これは、日本全体の問題だなぁと感じています。今日もテレビを見ていて感じました。

150年前、明治の初めに、トルコ🇹🇷軍艦656人の使節団が日本に来て、国交を交わし帰還の時に、和歌山県沖で遭難した。その時、村人たちはトルコ人を助けた。必死で助けたが587人が亡くなり、69人が助かりトルコへ帰還した。1890年9月16日の事だった。その時、24歳だった山田寅次郎は、義援金を集める行動を取り、その義援金を持って、トルコに行った。何故、トルコ人を助けたのか?と問われ、「日本の武士道でございます。」「弱きものを助けるのが武士道でございます。」日本には、そんな素晴らしい精神があるのなら、山田寅次郎さん、その武士道を教えてもらえないだろうかと言われ、14年間滞在する事となった。そしてそして、1985年3月19日、昭和60年の事です。イラン🇮🇷イラク🇮🇶戦争の時です。イランに日本人は🇯🇵215人、取り残されました。日本政府も迎えに行きません。人道主義が唯一の救いなのにです。そこに救世主が名乗りあげたのが、隣国のトルコ🇹🇷空港✈️だったのです。95年の時を超え「日本への恩返し」ですと、215人の日本人は助けられた。その時の日本人は、「私たちの命の恩人の国トルコ🇹🇷」だった。この時にも、我が国のお粗末さを感じた。と言うのは、トルコの学校では、授業に1890年9月のトルコ軍艦巨大船体エルトゥールル号が難破して日本人に助けられた。山田寅次郎の武士道を習い、記念碑も設置してある。だから、トルコ人は、その恩恵を国民が知っている。日本人は、そんな素晴らしい先人が居るのに、何故知らされていないのか。やっぱり、GHQの占領政策により、思考停止して来たのかもしれない。戦後73年の歳月により、武士道精神が遠のいてしまったかも知れない。しかし、私でも「あれ!おかしいなぁ!」と気づく様になりましたからね。私が、ここ最近余計におかしいなぁ?変だなぁと、思うのは、あの慰安婦の銅像も、何で、アメリカの国に置いたり、オーストラリアに置いたり、韓国に置いたりするのでしょうかね。もともと、彫像とは、日本人感覚(武士道精神)で言えば、畏れ多くも功績のあった偉人の彫像だと思うのです。だとすると、日本を侮ってることになり、嫌がらせを平気でやっている事になります。これじゃ、国と国との対等な交渉はとても大変だなぁと感じますね。いやはや、未来に向けた、両国の姿は、これからは、“善意の連鎖”が続く事が大事ですね。私達は歴史の中で生きています。