今日は天気予報が当たり、一面の銀世界です。

2019/01/26

うふふ。当たり一面の銀世界です。嬉しくなりますよ。子どもみたいに🧒🧒嬉しくなる私達がいます。連れ合いも、大喜びです。朝食を済ませて、早速、ユンボを動かして雪かきしていますよ。20センチかな。すると、お手紙が来ました。ケニアのマトマイニの菊本照子さんと知り会の寺田さんからです。2月にケニアに行きますとの事で、私は、その方に、マトマイニのフエルトアニマルをお願いしょうと思っていましたが、どうも、ケニアでは、異常気象で羊毛を手に入れる事が難しい状況にあり、マトマイニへも買い出しに行くのは、とても大変かもしれないとお手紙に書いてありました。そして、今度ケニアに行く目的は、ケニアで障害児のための場所「シロアムの園」の創成に携わっておられる方でした。「シロアム」とは、イエスがこの盲人を癒された地の名前だとか。菊本照子さんは、島根県出身なのですよ。嬉しいですね。日本人が世界で、活躍しているのです。さぁ!お手伝いが出来る事は、何らかの方法でお手伝いしますよ。そして、今日は、嬉しい事に歴史秘話ヒストリーです。何と、日本植物学の父、牧野富太郎です。私は、「植物の精」である。高知県佐川町に生まれ、12歳で小学1年生に入学するも、直ぐに退学し、野山を駆け巡り、近くの横倉山に登り植物を採取し、新しい植物を発見し、新しい名前も命名した。「コオロギラン」。1884年東京大学へ上京して研究室に入り研究しだした。同じ研究員達からやっかみがあり、一度は出入り禁止令が発令され、行けない事も有ったが、妻の須惠のお陰で、研究は勧められた。日本中を歩いて周り、採取していた。しかし、その妻の須惠は、1928年に54歳で亡くなった。

富太郎は、その須惠の名前で、発見した笹を「スエ笹」と命名した。その時には、東京大学の研究室に戻っていた。

牧野富太郎の記念館は、東京にもあり、高知県立牧野富太郎植物園もある。

だいたい、私は歴史秘話ヒストリーが大好きですので、興味津々でしたよ。