寒中お見舞い申し上げます。

2019/01/24

小寒が過ぎ大寒が過ぎました。それでも、そう寒くはありません。ほんと、いつもなら雪が積もったり、寒がして、水道の水が出なかったり、と、大変なのですが。その代りなのでしょうか、インフルエンザがとうとう入ってきました。メンバー3名がインフルエンザA型にかかり、グループホームの自室に隔離です。職員も1名自宅で、隔離です。その為に、メンバーも職員も全員がマスク着用です。職員もメンバーも全員がインフルエンザの予防接種をしていますので、軽くて済んでるかも知れませんけどね。気よ付けています。

私は、この頃、ニュースをよく見ますが、我が国、日本の事がとても、気になって仕方ないのです。お隣の、韓国レーダー照射事件についても、明かに韓国側の失策なのに、対応不備というか、日本を侮っていると言うのか、何故なのか、とても気になるところです。そして、何故その様な不可解な対応なのか疑問視してしまいます。

北海道の北方領土問題についても、とんと昔のロシア帝国と江戸幕府の時代から続いている1875年には、樺太千島交換条約を締結し、日本は樺太島の領土権を放棄する代わりに、千島列島をロシアから譲り受けた。この条約を根拠に、日本政府は現在に至るまで、「歯舞群島(はぼまいぐんとう)、色丹島(しこたんとう)、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)の北方四島は、千島列島に含まないとしている。北方領土問題の発生の、きっかけは大東亜戦争(第二次世界大戦)だった。大東亜戦争の1941年4月に日本とソ連は「日ソ中立条約」を締結し、両国は互いに中立を保っていた。のに、広島に原爆が投下されてから2日後の1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告した。そして、8月15日、日本は「ポッダム宣言」を受託し、連合軍に降伏。しかし、ソ連軍はその後も千島列島を南下し、9月5日までに「北方領土」を占領した。ロシア側は「大東亜戦争で北方領土は合法的に自国領になった」と主張し、現在に至っている。1951年、日本はサンフランシスコ講和条約」を締結。この条約で日本は、戦前に領有していた台湾や朝鮮半島をはじめ南樺太・千島列島を放棄することが確定した。ここで、問題となるのが、「千島列島」が何を指し、最終的にどこが帰属するかという点だ。・・・どうも、「片面講和」となったようだ。日本側もぶれていたようだ。政治家の答弁も。。

その間、様々な試みが試された。しかし、その道のりは、果てしない。戦後74年を迎えても、その解決の糸口は、困難極まりない。

何故、我が国は、お隣の国から、侮られなければならないのだろうか。もともと、日本人の大和魂は、「和を以て貴しとなす」の精神がみなぎっている。となると、お隣の国は、自国だけが、ナンバーワンだと、自負し、「天狗」となっているのだろう。そんな、「天狗の国」と、どうやって、和解していいのか。答えは見つからない。

北朝鮮にしても、然りだ。あんなに沢山の日本人を拉致しても、「知らん顔」だ。同じ人間とは、思えない。

こんなことを、私は考えだすと、人間とは、何ぞやにぶち当たる。摩訶不思議な生き物だと思う。