実は、絶対の幸福のことをいろは歌では言われています。

2018/10/24

いろは歌は、平成の子供も知っている。というのは、「いろはかるた」を、知っているからである。私も、我が子に、お正月は「いろはかるた」を興じていた。時には、歯医者さんや病院などでの、長い時間を待合室で待っているときに、よく使った。子ども達は、クイズが大好きだったので、「いろはかるた」の47文字を順番に「い」から始まった。もう、競争のように答えてくれた。我が子ばかりでなく、一緒に待っていた他所の子も答えてくれていた。今、思い出すととても懐かしい。現在は、孫達が、「いろはかるた」の「い」から答えてくれる。孫が三才の時であったが、「か」の可愛い子には旅をさせよ。の「か」を抱えて、新聞紙を丸めて、おむすびにして、それを背負って、お部屋をグルグル回っていた。とても懐かしいですね。私はここ最近、「生きる意味は幸福」について、学んでいますので、この「いろはかるた」ならぬ、「いろは歌」がとても気になり始めました。

「いろは歌」は、日本独特のものでも、仮名を覚える手助けであったようです。明治時代になって国語教育の中で、こどもに教えやすいいろは歌が採用されました。江戸時代の寺子屋の手習いとしていろは歌を使っていたのを継承したのだと思われます。実は50音も太古の昔からありました。

日本語って、面白いですね。そうそう、今日は、この「いろは歌」は、実は凄い歌だったのです。どうも、平安時代の初頭の僧の空海の作ではないかと言われています。芥川龍之介は、「我々の生活に欠くべからざる思想は、或は「いろは」短歌に尽きているかも知れない」と言っている。いろは歌は、経典を和訳したものだと言われます。

『色は匂へど  ちりぬるを     『 諸行は無常なり       一行

いろはにほへと

我が世誰ぞ  常ならむ        是れ生滅の法なり      二行

わかよたれそ つねならむ

有為の奥山  今日越えて       生滅滅し己りぬ       三行

うえのおくやま けふこえて

浅じ夢じ   酔ひもせず』       寂滅をもって楽となす』  四行

あさきゆめみし よひもせすん

どちらも最初の一行と二行は迷いの世界、 後の三行と四行はさとりの世界です。

「色は匂えど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ」人は何かを信じなければ生きてはいけませんが、信じていたものに、裏切られた時はに苦しみます。ところが、すべてのものは常がない、諸行無常ですから、必ず裏切られる者ばかりです。苦しみ悩みの世界になるのです。ところが、【有為の奥山今日越えて】その苦し悩みの有為の奥山を、今日、現在、生きている時に越えたという決勝点がある。それは、【浅じ夢見じ酔いもせず】夢でもなければ酔ったような世界でもない、ハッキリした世界があるのだと、いろは歌に教えられています。また、こんな風に解釈してもいいみたいです。 【怒りや嫉み、愛や憎しみ、欲望や希望、幸福も不幸も全て、実態のない幻想でしかない。心の奥にある、実態のないものにとらわれている煩悩を今日、克服して空を悟る】

うふふ。「生きているだけで立派です。」繋がりましたね。