人生どうもうまくいかないなぁと感じていた人も、明るい人生になるかもね。

2018/10/17

でも、問題は実行するかどうかにかかっています。では、餓鬼と旦那についてお話しましょう。

「旦那」と言えば、よく奥さんが、「うちの旦那さんが・・・」と言います。普通、結婚している男性の事です。それに対して、「この餓鬼」と言えば、子どものことですね。ところが、この「餓鬼」と「旦那」という言葉は、もともと仏教からきた言葉です。「旦那」とは、「ダーナ」という昔のインドの言葉で、「布施」とか、「布施をする人」のことです。「餓鬼」というのも仏教から来た言葉です。六つ迷いの世界「六道」の一つに「餓鬼道」があります。「餓鬼道」は、布施の功徳を積まなかった、「我利我利亡者(がりがりもうじゃ)」のゆく迷いの世界だと言われています。「我利我利(がりがり)」とは、「我」が「利」益、「我」が「利」益とあるように、人の利益のことは考えず、自分さえ助かれば人はどうなってもかまわないというひとですから、この餓鬼道は、がめつい人、けちな人、「自分さえ良ければ、人はどうなってもいい」と人に与えることを知らなかった人がゆく世界です。子どもことをガキというのは、子どもというのは、もらうばかりです。生まれた時は、100%親の世話にならんと生きていけません。100%もらうことからスタートするのですが、大人になるにつれて、普通は人に与えることを覚えてゆくはずです。ですが、子どもはたいてい親の世話になるばかりで、しかもそれが当たり前になっています。だから「あれしてくれない」「これしてくれない」と言って泣きます。そういうのをガキといいます。

たまに大人になってもそういう人がいるので要注意です。

「我利我利亡者」とは、人間は欲の塊だと言われますが、欲の本性を我利我利亡者といいます。「本性」とは、本当の性質と言うことです。本当の性質は、普段は隠していますが、余裕がなくなると現します。

やはり紳士淑女の人格者たるもの、人前でがめつい、自己中心的な言動をとると、品位が落ちますので、普段は隠しているんですね。と善人ぶっているんですが、本当に切羽詰まってきた時には、「他人を押しのけても、自分が得したい」と思います。  「我利我利」というのは、私の利益、自分がおいしいものが食べたい。自分がお金が欲しい、自分がほめられたい。私が得をしたい。我利我利に人は出てきませんから、自分の利益しかに考えない。これが欲の本性です。自分の利益の為であれば、他人の足を引っ張ってもかまわない。

それに対して、「布施」とは施す、与えることです。布施の精神は、「自利利他」です。「利他」とは、他を利すると言うことで、人を幸せにすると言うことです。他人を幸せにするままが、自分が幸せになるということです。

では、今まで我利我利亡者で「してもらうばかりで、それが当たり前だった人が」、いったいどうしたら心の方向転換をして、自利利他の心の方向転換ができるようになるのでしょうか。

私は、思います。自分の本性は、「我利我利亡者」になっていないのか。「自利利他」になっているのか、自分と向き合ってみることも大切なのではないかなと思います。自分が「我利我利亡者」である時には、他人の足を引っ張ってしまいます。多分我利我利亡者になっているときは、心が乱れ不安定になっているはずです。鬼の顔になっているかも知れませんね。「笑う門には福来る」なんて、考えられませんね。

人間さまは、早く気づくことがたいせつですね。私も、この歳になって一生懸命勉強中です。