2018/10/09
私たちの運命は、どうやって決まるのか?その私たちの運命は、原因と結果の関係から教えられたのが、仏教に説かれる「因果の道理」と言われるものです。「因果の道理」は、「仏教の根幹」です。「根幹」というのは、根っこであり、幹であることです。ですから、因果の道理が分からなければ、仏教は、全く分かりません。
「因果の道理」とは、先ず、「道理」とは三世十方を貫くものを「道理」と言われます。
「無理が通れば道理が引っ込む」ことわざがあります。「三世」とは、過去、現在、未来のことで、「いつでも」ということです。「十方」とは、東西南北上下四推のことで、「どこでも」ということです。(「四推」とは、東北とか、南西の四つの方向です。)「三世十方を貫く」とは、いつでも、どこでも変わらないものが、道理だと言うことです。いつの時代でも、何処へ行っても正しいこと、変わらない事実を道理と言います。仏教では、そんな道理を2600年前から教え続けられているのです。では、「因果」とは、何かといいますと、「因」とは、原因、「果」とは、結果ということです。仏教では、どんなことにも必ず原因がある。原因なしに起きる結果は、万が一つ、億に一つもない、と教えられています。ですから、人間の知恵が足りずに、原因が分からないことはありますが、原因がないということは、全く違うということです。この世の事全ては、どんな小さな結果にも、必ず原因があると言うことです。仏教は、あくまで因果の道理に立脚して説かれています。ですから、お釈迦様は、奇跡を起こされたことはありません。そこに仏教と、他の宗教の違いがあります。「善因善果・悪因悪果・自因自果」となります。因果の道理が知らされると、幸福という運命がやって来た時に感謝となります。不幸や災難がやって来た時には懺悔となると言うことです。と言うことは、善いも悪いのも、私の運命の全ては、私のまいた種まきの結果なんですよと教えられます。仏教の根幹は因果の道理ですから、ですから、仏教を信じれば、順境には感謝となり、逆境には懺悔となります。実は、私は曹洞宗ですので、「修証義」の第四節に「今の世に因果を知らず、・・・・・大凡(おおよそ)因果の道理歴然(れきぜん)として私なし、とある。この因果の道理は、いつの時代でも、どこの国でも、誰にとっても正しい事実だ。悪事をはたらけば精神は堕ち、善行を行えば心はきよらかになる。うふふ。凄いことですね。そして、今日は、2020年のオリンピックの年に「大田人の芸術家展」を開催の、ファイルがラインで送ってきました。企画書なのですが、早速、私はコピーして、皆様にお見せしようと計画しているところです。凄いでしょ。東京での開催は、着実に進んでいます。それも、文明の利器で、私も出来るなんて素敵だと思いませんか。うふふ。いい風に当たっていますよ。