2018/07/25
「生死一如」生きることと、死ぬることは、二つであって一つ、切っても切り離されないことです。紙の裏と表のようなものです。例えば、余命宣告をされた場合、生きる意味は、余命3ケ月、生の瞬間を日輪より明るくと、生と死は、台所と便所です。生は台所~明るく楽しい。死は、便所だとすれば、暗くて苦しい。一家団欒は台所です。食べて出すは、100%。明るく楽しく生きるには、仕事、スポーツ、恋人、家族、休日、旅行、死は考えないけど、1日1日死に近づいています。100%確実に死にます。死んだらどうなるか、はっきりしない。後世の一大事(生死の一大事)先の見えない闇の中を走っているから心が安心も満足もない。苦悩の根元を断ち切って本当の幸せに出会う。「拈華微笑」の言葉をブログ仲間に送ってみた。心や気持ちに寄り添うこと、無意識に心の響きあいが生じて言葉を発しなくても思いが伝わったり理解出来たり、同じことを考えていたり、言葉以上に一つのしぐさやサインが本音を表していたりします。人の心はそんな不思議な力を持ち、心ある者同士は互いにつながり合って生きているのです。しかし、「わたし」という字が意識が強く、脳が緊張状態にあると、つながれません。意識的に生きているように思えても、私達はすべて無意識に動かされながら生きているのです。例えば同じ出来事でも感じ方や受け取り方、反応する感情やそこから発する言葉や行いは人それぞれです。それぞれ蓄えてきた「無意識」が反応するだけです。出来事自体は、ただの「事実」でしかありません。。。。。
だから、どんな時でも微笑みで向き合ってみる。心に寄り添ってみましょう。相手に対しても、自分自身に対しても、あれこれ色々と意味を考えず、あまり深刻にならずいつでも微笑みを。
青春の詩 サミエル・ウルマン
「人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる」