ワールドカップ!決勝進出しました。あと一歩でしたね!

2018/07/03

いやはや、選手たちのパッションは、素晴らしいです。ターシャ・チュダーの言葉が閃きます。「なにもしなければ、なにもうまれない」チュダは言いました。「人は悲しい話、暗い話が好きだけど、この美しい世界にいられる時間は、短いのよ。それを最大限に楽しまなくては、もったいないわ!私はそうしています。」「身の回りのちょっとした出来事の中にある大きな喜びに目を向けると、人生ってすごい冒険だと、思わずにはいられません。」

「美は見る人の目の中にあるといえます。醜い考えを拝し、そばにいる人に愛を施し、思いやりのある行動をとっていれば、それを見る人の目には、あなたの周囲が美に満ちていると映るでしょう。」

「生きていれば、落ち込むこともあります。状況を好天できると思ったら是非努力すべきです、でも変えられないなら、それを受け入れて歩み続けるしかありません。何があっても生きていることを楽しもうという気持ちを忘れないでね。」

努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る  井上靖(作家・詩人)

気が付くと、現状に不満ばかり言っている人がいます。不満を言うことにより、怠けている自分を正当化しようとしています。希望を語り、出来得る限りの努力をしましょう。きっと道は拓けます。

「はきものを そろえると 心もそろう 心がそろうと はきものもそろう ぬぐときに そろえておくと はくときに 心がみだれない だれかがみだしておいたら だまってそろえてあげましょう そうすればきっと 世界中の人の心も そろうでしょう」曹洞宗の「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)と有ります。実は、我が家にもこの言葉が掲げてあります。自分の足元を見よ、自分の行いを見よとあります。もう一つ深い意味があるのです。

人間はすべて二つでバランスをとっています。右足と左足の二つがあるから歩くことができます。目も二つ、耳も鼻の穴も二つ、手も二つでしょう。脳も大脳、小脳の二つ。この世の中は全部二つ。二つを揃えることが大切です。「口は一つでしょう」と言う人がいましたが、入り口と出る口があるのです。善があれば悪がある。肉体があるから精神があるのです。誰かのはきものが乱れていたら、黙ってそっと揃えてあげられるような人こそが、本当の思いやりのある人なのだと思います。そんな人がひとりでも増えれば、そんな子どもがたくさん育てば、世の中はもっと素敵になることでしょう。

いやはや、人生って、素晴らしいですね。 私は、先生方のお話を伺い、やっぱり、この世に誕生した命は、一人一人がかけがえのない命をちょうだいしているんだと、つくづく思います。なのに、現実社会では、一人ひとりの命に対して、自分を卑下し、相手も卑下してしまうことが起こっています。中には、素直に人の話が耳に入らず、不平不満ばかりを募らせています。私は、一体どうしたらいいものかと、いつも頭を悩ませます。

不思議なことに、自分の今のままを受け入れた人は、自らが自分らしく成長しようと努力されます。そして、言動の中に、否定語の「でもね。だってね。しかし。」の言葉が少なくなってきます。そして、その人本来の穏やかな笑顔を見ることができます。そんな時には、とても嬉しくなりますね。そして、やっと、自分の人生って、素晴らしいなぁと、自信を持つことが出来るのだなぁと、思います。そして、やっと、「生まれてよかった。生きててよかった」ことに、気づけるのでしょうね。 私は、何とか、一人ひとりをその方向に向けていくよう、これからも精進ですね。