2018/04/14
昨日も、大慌てで、我が家に帰りました。と言うのは、同じ自治会の方が亡くなられ、ご近所さんですので、連れ合いと一緒に行きました。その昔は、どの家も不幸があると、自宅での葬儀でしたので、組みの人が集まって、それぞれ役割分担をして、通やと葬儀のお手伝いをしました。私は、だいたい、いつも台所組に当たり、通やの膳のお斎の献立と、葬式のお膳のお斎の献立を考えて、献立を貼り出し、必要な材料を買い出しに行かれる様に、準備をしました。朝食も準備していた事がありましたね。そんな時は、朝6時ごろにお手伝いに行っていました。あの頃は、不幸があった方の家族は何もせずに、喪に伏す事にせよということだったのでしょうね。我が家も、振り返ってみると、昭和の時代は、皆さん自宅か、お寺でしたね。平成に入ってからも、我が家の大祖母が平成3年でしたので、平成10年頃に、JAに葬儀センターの「虹のホール」が、出来てからは、段々と葬儀のあり方が変わって来ました。だから、ここ最近に亡くなった我が家の義母も私の実家の両親も、JAの葬儀センターでお葬式をしました。時代は、いつの間にか、移り変わって行くものなのですね。
私は、歴史が大好きなので、余計にそう思うのだと思います。だから、とんと昔のお話が大好きなのです。特に好きなのは、戦国時代の武将の奥方様が気になるのです。豊臣秀吉の奥方様の「ねね」様、高台院の京都の高台寺にもお参りしました。お墓参りも好きですね。アハハ😊困った亀ばぁちゃんですね。