朝の光に照り映える日がやってまいりました。

2018/03/27

こんな日は、とても嬉しくなります。しかし、3月27日は国会では、「森友学園」国有地売却に関する決裁文書改ざん問題をめぐり、本日、参議院予算委員の証人喚問で、当時財務省理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官は、述べることになっている。いやはや、我が国は、いったいどうしたものだろうかと、悲しくなってしまう。私は、この頃、台湾人の方、アメリカの方の書物を読む機会があった。今回も、蔡焜燦(さいこんさん)の「台湾人と日本精神」小学館の書物を知った。その本のコメントに、戦前の日本人は素晴らしい人が沢山いたのだが、現在は、公の精神よりも私利私欲が勝っているように思う。とか、中国は「私」と「金」と「権力」が全ての中国社会に蔓延している。現金至上主義と対峙する精神至上主義の極致となっている。そして、その中には、日本人の後藤新平のことが載っているらしい。では、後藤新平とは、どんな人だろうと調べてみた。安政4年(1857年)岩手県奥州市生まれ、明治23年、ドイツに留学し医学博士号を与えられた。明治26年相馬事件に連座し収監されたが最終的には無罪となり、衛生局長を非職となり失脚となった。そして、明治31年陸軍の児玉源次郎が台湾の総督となり、後藤新平が抜擢されることになった。その当時は中国本土と同様に台湾も阿片(アヘン)の吸引が庶民の間で普及していて、大きな問題だった。後藤新平は、いかに常習者を減らしていくのか対策を考えだし、施策から50年近くかけて阿片の根絶を達成した。昭和20年のことだった。また、台湾ではペスト、コレラ、赤痢、発疹、チフス、腸チフス、ジフテリアなど伝染病が何でもそろっていた。マラリアは大問題だった。その衛生事業も、大規模な人口調査を実施したうえで、道路、鉄道、水道、湾港などのインフラ整備のほか、衛生環境と医療の大改善行い、台湾の上下水道は整備され、伝染病が消えていくことになった。

後藤新平の最後の言葉で名言を残している。

「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」

蔡焜燦の日本精神(リップンチェンシン)~日本人よ胸をはりなさい。

等々、日本人を称賛して下さっている。日本人よ!しっかり目ざめたい。