お早うございます。石見銀山鞆ケ浦街道の栄枯盛衰、世の儚さ

2018/03/08

松尾芭蕉が、江戸時代に江戸の深川から出発した。日光に入り、福島~仙台へ、そして、平泉へと、芭蕉の時代から遡ること、500年前のこと、藤原氏の栄華の頃の、栄華の跡をうたった。「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」そして、平泉の金堂を見て、「五月雨の 降り残してや 光堂」とある。と思うと、石見銀山鞆ケ浦街道も、平成の世から遡(さかのぼ)ること、500年になる。その当時の栄華を偲ばれる。そこで、私も一句、

☆ 弥生風 栄華の跡 五輪塔  (亀婆)です。世の儚さをしみじみと感じます。その昔から、盛者必衰なのですね。平家物語の冒頭が流れます。ほんに、摩訶不思議です。

♪ 祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす ♬

うふふ。この思いも、もしかして、大和魂なのかも。日本人らしい、勇壮な精神です。この大和魂はいつ頃から誕生したのだろうと調べてみました。明治時代頃かなぁと、思いましたが、実は違っていました。なんと、平安時代だったのです。それも、紫式部が源氏物語で綴っていました。

源氏物語の「乙女の巻」です。光源氏は12歳になった長男の夕霧に元服の式をあげさせ、周囲の反対を押し切って大学へ入れる。その際、『才(ざえ)を本(もと)としてこそ、大和魂(やまとだましい)の世にひらるる方(かた)も、強う侍らめ』と述べている。ここでは(1)大和魂は才(漢学の素養、漢才(からざえ))と反対の概念をなしていること、(2)大和魂の属性として(世に用ひられるる方)すなわち処世的手腕・功利主義的判断能力が考えられていたこと、この三つの特性が認められる。日本民族固有の精神。日本人としての意識。

平安時代には、古くは中国に対して、近代以降は西洋に対して主張された。

吉田松陰の詠んだ「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」は、余りにも有名だ。

うふふ。嬉しいですね。1000年も昔から、私たちは、きちんと受け継げられてきています。私は受け継がれていない人はね一人もいません。日本人としてのDNAが、紛れもなく受け継がれています。だから、ご先祖様に感謝して、不忠義であってはならないことになります。

だから、日本には、老舗が沢山あります。何百年も続く老舗が沢山あるのです。

「信用」「信頼」があり、信用重視が、大和魂が存在し、「信用」とは企業にとっては、繁栄の道です。

幸福の道でもあります。「道は一つだけ」いずれも「天の一物」であり、「天の道」を歩むべきと、

吉田松陰の名言より

【夢なき者に理想なし 理想なき者に計画なし 計画なき者に実行なし 実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。】いやはや、先人に学びましょう。