蕗の薹です。我が家の庭に、顔をのぞかせました。

2018/03/06

今朝のことです。連れ合いに、「やっと我が家にも蕗の薹が、出たよ。」と、伝えました。すると、「そうだよ!この間の、暖かい日に、記念碑の周りにいっぱい出ていたよ。ほら。あそこだよ。」ですって。なんだ、私が先に見つけたと思っていたのに。先を越されてしまいました。まぁ!この私にとっては、初お目見えに違いないものね。群言堂のフェースブックを開くと、そこには、手のひらにのせた蕗の薹が載っていました。わぁ!やっぱり、石見銀山の大森は我が家より早いのだ。ということは、春が近いのかな。そして、その春を味わったとか。そうだ、我が家も、週末には蕗の薹の天ぷらにして、春の味を楽しもう。

そして、嬉しいお便りもいただきました。1月の夢のイストワール展で、当亀の子のパンフも置いていましたので、横浜の方から、東京展「絵本の部屋」「夢のイストワール展」に出展したい依頼が私に届いていました。私は困って、その方の依頼文を、その主催者の方にお手紙でお願いしました。その方は、わざわざ、島根の私にお手紙を託されたのでしょうね。私は、その気持ちを汲んで、中を取り持って差し上げたところです。マネージャー役でしたね。そして、その方から、お礼のお手紙が来たところでした。その方は、どうも横浜市内の障がい者支援事業所を利用しておられる方のようでした。そのお手紙の内容は、東京展「絵本の部屋」、「夢のイストワール展」に出展の承諾が得られたようでした。ほんに、不思議なことでした。

だいぶ以前のことなのですが、この方も、東京の方だったのですが、曲を聴きながら曲に応じて曲の旋律の絵を描いておられる人がいました。私は、その方の絵を、当亀の子へ持ち帰って、冊子にして、プレゼントしたことがありました。 三軒茶屋のアンシェーヌ藍では、レストランの壁には、いつもメンバーさん達の絵が飾ってありました。その近くの画廊には、当事者達の絵がありました。でも、考えてみると、この全ては、自分がそうしたいと願わないとできないのだ。と、気づきました。でも、その一人の力では、どうすることもできない。だから、当事者側に直ぐ立てるような、人がいないと、彼たち彼女達を引き揚げて行くことは難しいのかもしれない。

でもでも、このことは、NHKさんも、随分と取り上げてくださっている。

いやはや、摩訶不思議な時代にさしかかっているようです。先ず、当亀の子からでも、気づいたことから、一歩一歩です。  昨年の暮れの「家の光」大会で、講演をさせてもらったのですが、家の光の意味が、解ってからは、いつも、現代社会の「家族」について、とても心配になりました。というのは、人間社会で一番小さい集団は、家族なのです。家族の中の人間関係が一番大切なのですが、どうでしょうか。それぞれの家族の関係性は、どうでしょうか。信頼関係が保たれているのでしょうか。きちんと話し合いが出来ているのでしょうか。お互いに家族が協力しあっているのでしょうか。助け合いをしているのでしょうか。家族の団欒があるのでしょうか。家族間で笑いがあるのでしょうか。この家族の信頼関係が出来ている家族でないと、とんでもないことが発生してしまいます。というのは、社会に出た時に、様々な集団に入ります。それは、職場だったり、学校だったり、親せきだったり、お友達の家だったり、します。家族の中の人間関係がうまくできている人は、他の集団でもとてもうまく行きます。   どうも、そこいらあたりが、曖昧になってきているような気がしてなりません。気のせいであれば嬉しいのですが。