2018/02/27
「道無窮」出典は正法眼蔵随聞記からです。「道は窮(きわ)まり無(な)し」です。求めて求めて終わりのないのが道なのであるから、窮めようなどという大それた考えを持ってはならないと言うことです。ということは、何の道でも同じことだと言えます。頂点に達した、などと言うことはありません。だから、私も、今までの暮らしの中で、特に社福亀の子の施設長として、様々なことに出会ってきました。対外的にも沢山の横柄な傲慢な方達にも遭遇して来ました。私は、その度に、叱責してきたように思います。他所の職員さんにも、叱責して来ました。こんな発言をしてきた職員さんが居ました。「私はケアマネです。プロですから。」と、横柄な態度でしたので、私は、「本物のプロは、そんなに威張りませんよ」 本質を突いたのか、その方は、涙をポロポロ流して、悔しがっておられました。私は、その時にも思いました。「あぁ!資格があっても、人として、失格だなぁ。」と、思いました。でも、世の中は、「資格・資格」と、追い立ててきました。私は、お寺の護持にも携わらせていますので、お寺では、その道に励むことを「精進」と言っています。「精」とは、つまびらか、であること。「進」とは怠らないこと。終点のない道です。ひたすら歩む、ただそれだけでよいのです。だから、私も常々、未完成の道を、未知との遭遇だと言って、母の辞世のことばを繰り返しながら、毎日、進んでいきたいなぁと、思っています。
今日も、車いすの彼がお話にやってきました。彼の友達に素晴らしい画伯いるので、「夢の話」をしました。すると、早速に、スマートフォンで繋いでくれました。その彼も、「凄いね!東京デビューですか。」ワクワクしますねぇ。 私もこうして夢が語れることは、嬉しいし、有り難いなぁと、つくづく思います。