NHK元アナウンサーの山根基世さんのお話を伺って!

2018/02/26

サンレディーフェスタでの記念講演会でのお話だった。演題は「今求められる、ことばの力 聴く力」でした。私は常々、「聞くは宝なり」と、思っていましたので、興味深々でした。その話の中に、雫石とみ(しずくいしとみ)さんの話に、衝撃を受けました。その雫石とみさんは、1911(明治44年)生まれで、宮城県生まれ。20歳で上京し、その後結婚し二女をもうけるが、1945(昭和20年)の東京大空襲で夫と子どもを失う。天涯孤独となり、今の上野公園で浮浪者になり、半年位彷徨った。戦後に作られた女子保護施設へ入り、暮らすようになる。日雇い労働に出る日々を送る。暮らすといっても、数人が寝起きする部屋では、自分が使えるスペースは畳1畳ほどだった。それも新入りはドア-に一番近い場所で、夜中にトイレに立つ人がいるため安眠はできない。へやの主がいるようなところでは、プライバシーなど当然ない。愚痴など言おうものなら、施設長に筒抜けで、こっぴどく叱られる。誰かに話すこともできず、ノートに思いを書くだけだが、それも誰かに見られるのを怖れて隠し持つ、自分が日雇いで得たお金で食を賄い、部屋主にも差し入れる。貴重な食料も気をつけないと盗まれてしまう。公共の施設とはいえ、家もお金もない貧しい女性は、人間扱いさえされていない。やましいことなど何一つ無い生き方をしてきたにも関わらず、役人からは、まるで虫けらのごとく扱われる。だが、とみは、「書かずには生きてこれなかった」というように、書くことで自分の尊厳を保ってきた。そして、早く施設を出たい一心で、人の嫌がる重労働にもつき、懸命に働く。そのようなコツコツ貯めたお金で、埼玉にささやかな土地を求め、掘っ建て小屋のような一間だけの家を建てる。誰にも遠慮することのない自分のお城を得て尚、せっせと働きもう一間を増築して人にも貸し、生活の足しにする。だがやがて、それらの財産を基にしたお金で、「銀の雫文芸賞」を創設する。書くことが自分の生きる支えとなったので、そのような人を奨励するためという。普通の人なら、病気や何かに備え、蓄えたお金を死守する年代に入ってからである。自分は91歳で亡くなるまで、六畳一間のアパートに暮らし、借り物のベットに寝起きして、その上に張ったロープに掛けた衣類数枚を持つ暮らしだったという。なんという潔さ。地を這うような暮らしの中で、人の蔑みにも自分を見失うことなく生きて来た強靭な精神の持ち主ならではと思う。欲を手放した人の清々しさに敬服する。この話は、NHK時代に取材をされて来られ、この方のことが、いつも脳裏にあり、「ことばの力・聴く力」を、今、何とかしなければと、気づいた。

1970年頃からカラオケブーム起こり、今は一億総カラオケ時代になってきた。昔は、取材でマイクを差し出すと、逃げていく人が多かったが、今は、言いたい人が多くなった。 「命の電話相談」では、チャイルドラインにかけてくる子供たちも増えてきた。18歳未満の子ども達からの電話は、「お母さんが晩御飯作ってくれないの。。」「今日ね、僕100点取ったの。。」「ホームラン打った」などなど、聞いてくれる人がいなくなった。子どもの心は救われない。そして、大人たちは、「自分が言いたい人が増えた。」「直ぐに切れるようになった」「攻撃的になった」どうも、悪循環が始まっているのではないかと心配になる。今こそ、聞きあうことが大切だと思う。しかし、「聞かない」どうも世界的な傾向らしい。自分が一番偉い! 自分が一番正しい!という人が多くなった。これでは、人を幸せにすることはできない。いい人間関係も出来なくなる。もともと、日本人は、謙虚で感謝する暖かい人間関係があった。感謝する能力は、日常の中の言葉の中から子ども達に伝えていきたいものだ。

となると、今の時代は「聴く力」だと思う。雫石とみさんは、書く喜びを知って、私は幸せですと言った。

命の根っこを、自分でしっかり持てれば、命の尊厳を侵すことなく、堂々として生きていける。