お早うございます。

2018/01/31

私は、この年を迎えて、より、精神性の高さを追求するようなった気がする。この度、「夢のイストワール展」での巻頭標語「この素晴らしい地球に生まれた事に感謝し仲良く楽しく生き抜く心を持ち続けましょう」と、私の言葉を使っていただいている。主催者の方も、この言葉は、イストワール(フランス語で物語、歴史とも)の仲間の中では、定着してきましたよ。と、心の精神性を追求していると思われる。

となると、日本に於ける精神性は、随分と変化してきているように思う。明治生まれの祖父祖母の姿を見てきた。大正時代に生まれた父母のもとで育った私は、「人として」「日本人として」がとても気になる人に育ったようだ。「華道」「茶道」「日本舞踊」の手習いにも、礼儀作法を自然と学んできたように思う。特に、「茶道」は、

日本の総合文化の継承なのだと、「茶道」から学ぶことは、日常の生活にも通じた。

「親しき中にも礼儀あり」「礼儀礼節を知る」「礼儀は人間だけのもの」等々、特に、お寺にご縁があってからは、よりそう思うようになった。法要の時には、沢山の参拝者が「斎米」と「お寺参り」持ってきて下さり、私は何をお返しすればいいのか、明治生まれの祖母に聞いたことがあった。「貴女は、いつも丁寧に、頭を下げればいいよ。」と、私はその時、「はい!頭を下げるのはお安い御用です。」と、変に納得したものです。

お寺様達が法要に来られて、お辞儀の仕方も、丁寧に教えてくださった。あの当時、着物を着て接待していましたので、三つ指をついて、鼻を三つ指の三角形の中に入れるようにして、おじぎをして、立膝でなく、きちんと坐って、ひじから先をきちんと畳につけて、丁寧におじきをしたように思います。この事は、茶道をしていましたので、軽くできました。勿論、畳のヘリは踏まないことも心得ていました。

日本の四季にも、敏感になりましたね。そして、子ども達の成長にも、敏感でしたね。誕生日、七五三、入学式、春休み、夏休み、冬休み、卒業式、成人式、結婚式、「人として」「日本人として」と、

礼儀礼節を知ることに、務めてきたように思います。

しかし、平成の世の中になり、何故か、日本の伝統が薄れていくようで悲しい思いをするようになりました。でも、その大切さを私はご先祖様に対して申し訳なく思いますので、私は、及ばずながら、伝えて行こうと覚悟をしています。