セネカ.いかに長く生きたかではなく、いかに良く生きたかが問題である

2017/10/15

ローマの哲学者❣️我が家の🗓に書いてある。なるほどなぁ〜と頷く。土曜日も日曜日も雨の日だ。昨日は、里の母親のお見舞いに、夫と二人で出かけた。心臓と肺は、相当悪化しているとのこと。気丈な母は、振りしぼって私に話しかけてくれる。「この世は摩訶不思議だいなぁ。皆んな繋がっているけぇなぁ〜。私にはみんな見えるけぇなぁ〜。」賢くて優しい凛とした母親に、私はいつでも、何時でも、助けてもらってきたなぁと、感謝いっぱいになります。ありがとうの想いがいっぱいになり、夫も私もなみだが溢れてきます。母親も目頭から涙がこぼれます。日めくりの言葉と一致します。本日ただ今をどう生きるのかを思いますね。そして、本日の日曜日は、私の大好きな❤️日曜日美術館です。天才仏師.運慶です。平安時代の末期に生まれた。デビュー作は大日如来坐像という。840年前の仏像は、平成の現代人が見ても、何ら変わらぬ感動を感じる。独自のリアリズムが、どこか卑俗にならず、崇拝される仏像になっている。特に目の表現は、水晶🔮が入れられ、心象表現には、ドキッとする。三浦じゅん氏曰く、レオナルドダヴィンチより、上を行っていると。心を彫刻しているようだとも。心で見えるのですね。私は歴史が好きですので、その時代の芸術にも目が行ってしまいます。だから、我が家の周りにも芸術は溢れています。と思うと、本物にたまたま出会えることができれば、凄いラッキー🤞な事となり、心が豊かになっていくように思いますね。。