2017/09/21
今日も、秋の空が広がっています。交通安全週間が始まりました。本当に、人間社会の交通手段も、時代と共に、変化して来ました。とんと昔の大田市では、電車もない、バスもない、交通手段と言えば、人力車、馬車、馬でした。私は子供のころから明治生まれの私の大祖父や大祖母達の話を聞いてきたのでしょうね。車のない時代の話をずっと聞いてきました。だから、私が子供の頃は、滅多にバスに乗らずに、歩いてばかりでしたね。交通機関が整い始めたのは、大正時代に入っての事でした。それも、石見大田駅が大正4年に開業しました。その当時の駅舎を私もうっすらと覚えています。その石見大田駅を今のあの場所に勧められた人が、長久村出身の恒松隆慶氏だったのです。当時恒松隆慶氏は、島根県の県議長でした。石見大田駅の広場には、恒松隆慶氏の銅像が建てられていました。今でも、「隆慶祭り」は開催されています。交通機関が整備されるようになり、石見大田駅から石炭バスが走るようになりました。大正時代も昭和の40年代は、舗装はされず、砂ぼこりだったり、デコボコ道でした。だから、信号などもなく、のんびりしたものでした。そう思うと、昭和50年代に入ってからは、道が舗装されたり、一人一人が、自家用車で通勤するようになってから、交通安全に市民が気よ付けるようになったのでしょうね。時代は刻々と過ぎ去っていきます。うふふ。その中で、我々は、日々是好日と生きて行きましょうね。
沢山の宝の山の中で、3つの知恵を持ってです。常によく聞き、常に思い、常に実行に心がけましょうね。仏の教え遭うことは幸いなりだと思いましょうね。