無一物中無尽蔵・むいちもつちゅうむじんぞう

2017/09/05

金澤翔子さんの魂の筆跡として、「無一物中無尽蔵」を見つけた。文筆として、母親の金澤泰子さんの文が載っていた。なるほどなぁと感心してしまった。その文を紹介したい。『翔子は社会の仕組みが分からないので、世俗への欲望がまったくない。お金も名声も何もいらない。けれど周りのすべての人達が幸せでなくては困ってしまう。

翔子は持てるものすべてを他の人にあげて、あげ果てて自分を捨て果ててしまって、皆の幸せな姿を見て幸せになれる。この行為はまるでマイナスに思える。しかし私はこのことを嘆かない。欲望がなく優しい心には大きな恵みが降りてきて、それは周りの人の幸せを具現する。翔子は千人に一人、この世に生まれるダウン症者です。

私は祥子が障がい者であることを長い間哀しんでいたけれど、今は千人に一人は、このような無心な娘がこの社会の中にいる必要もあるのではないか、と思うようになった。「無心」の心には無尽蔵に恵みが降り来るものなのだ。  何ものにも執着しない境地に達することができれば大いなる世界が開ける、という禅語です。

なんか、素敵だなぁと、感じ入りました。作家の五木寛之氏の言葉も素敵でしたよ。高成長の後にやってくるのは、成熟の時代です。文明を成熟させるのが、今からの時期ということです。「高成長・未成熟」の時代は終わりました。我が国も「低成長・高成熟」の時代の始まりです。人の生き方も、精神の充実や内面の成熟が生まれてきます。成熟した智恵をもった人が出てきます。年齢や経済のモノサシでもなく、組織の中の社会的なモノサシでもない、これからは一個人に戻って、人間とは何か、人生とは何かを、もう一度考えるべきだと思います。

孤独の中でこそ、ものを考え、情緒や感性を磨いて、精神的な成熟を育んでいく生き方があってもいいと思う。

平和は地球が生きることに、一番大事な条件である。日本は、広島・長崎・ビキニ・フクシマと、4度も核被災に遭った唯一の国。核兵器廃絶の声をこの日本から発して行かなければならないと思う。