2017/03/13
本日も、社会福祉法改正の年となり、平成29年4月1日施行に向けて、理事会が開催されました。確実に新時代を迎えています。理事さん監事さん達に、当法人について、しっかり見ていただいています。有り難いことです。その理事さん方も、それぞれの地域で活躍しておられます。今日も、とんと昔のお話を伺うことができました。とんと昔の銀山街道を、代官さんが領地見回りの道を、その郷土の八景とか。そういえば、北三瓶地区にも、山口八景って、有りましたね。川合町の福寿園の土地は、岩谷九十老屋敷の土地だったとか。いやはや、江戸後期から明治の石見安濃郡の豪農です。ここでつながりました。実はあの福寿園辺りに何百年の日本一のタブの木が神之木となり若宮神社があります。その当時は、そこが主要道路となっていました。そうか、私の里の母の実家が同じく、川向うに屋敷があったという。その屋敷を解いて、現在の道路に出てきたとか。武士の出だと言う。私が幼いころ、お祖母ちゃんに連れられて、川向うのお屋敷跡に行ったことがあった。杏子(あんず)がなっていたような気がする。そして、その福寿園は、昭和31年9月に開園されている。その開園に当たって、当時は川合村であるときに、川合村村長が浄光寺の斉藤氏であった。その時、助役を務めていたのが岩崎氏であった。岩崎氏というのが、母の父親だった。昭和29年1月1日に2町6村が合併し市制が施行された。市制合併の折に、その斉藤氏と、岩崎のおじいちゃん達が、奮闘し、今に引き継がれているという。その福寿園に昭和35年8月に霊安殿が建てられ、納骨できるようになっている。実は私はお寺に嫁いだので、我が家の老祖も、福寿園にお勤めに行っていた。
昭和の50年代位まで行っていたようだ。だから、私は在家からお寺に嫁いで行ったので、お寺の事は皆目、無知であった。しかし、先代達のご縁があり、私は、随分と眼にかけていただいていたようだ。その方丈様の斉藤老師は、戦争には負けてはしまったが、日本人を侮るなかれの精神をもつべきだ。飽食飽衣獣禽に等しだ。心して生きよ。と、話して下さった。もう30年も前のことであるのに、私の心に染みついて離れない。
うふふ。年を重ねてきたので、余計にそう思う私が居るのでしょうね。そうそう、還暦を迎えた人達は、これからの生き方として、いい物差しをみつけました。「俗悪より高尚に」「偽物より本物」「無理より自然」「拘束よりも自由」「争いよりも平和」「醜いよりも美」を求めるようにしましょう。なるほどね!