色々なことがあって当たり前、姿勢を正して幸いと転じてゆこう。

2017/02/07

本当に、人生って、色々なことがあって当たり前なのだと受け入れられるようになった。うふふ。今朝も、以前利用していた彼女が顔を見せに来てくれた。その彼女は、シングルマザーで幼い子供を、ここ亀の子を利用しながら、必死で子供を育て上げた。子供も思春期は、様々なことがあったが、その都度、必死で体当たりして「あぁ~でもない、こ~でもないと」悪戦苦闘をくり返してきた。その都度、彼女に寄り添ってきたように思う。そんな彼女は逞しく「いい女」になってきた。今は、自立して、素敵な相棒と一緒になり、その相棒のお手伝いをして、生計している。子供も、いい大人になり、働きに出かけているという。ここ亀の子を利用して、生きる勇気を身に着けて、飛び立って行った彼女、彼たちを思うと、本当にうれしく思う。だから、時々、そんな彼や彼女達に逢うと、たまらなく嬉しくなる。

言霊は、本当だなぁと思ったことがあった。それは、我が家でのことだった。中学生の孫は、卓球大会にて江津に出かけた。その応援に母親と小学5年の孫娘がでかけた。小学2年の孫は留守番するといい祖母ちゃんの私と過ごすことになった。お天気も良かったので、午後から山口八幡様にお参りして、ばぁちゃんの散歩コースを歩こうと言うことになり、散歩開始で~す。孫の皆里君は、お兄ちゃんの自転車に乗って行きます。私はてくてく歩きます。まず一畑さまにお参りです。そして、お宮に向かいます。急な坂を、上手に登ります。社殿を開けると、灯りが点され、節分祭のままに置いてあります。お神酒に、おみくじに、お豆さんまで置いてあります。お賽銭を入れて、おみくじは、一つが50円とあります。孫と私とで、2つおみくじをひきます。1礼2拍手1礼です。そして、お神酒をいただきます。孫に注いでもらいました。なみなみについで外にこぼれてしまいました。孫にも少し頂いてと、言うと要らないといい、とうとう、この私が全部いただくことになりました。おみくじを開けると、私は吉です。孫の皆里君は「大吉」です。私はシビキの木に結びましたが、孫はママに見せるといい、ポケットに。そして、散歩コースをひたすら歩きます。皆里君はわざと脇道にある雪を砕きながら走ります。途中の馬頭地蔵さまにも合掌です。ついうっかりしていると、「婆ちゃん。お地蔵様だよ。」と、「あらら。ありがとう。皆里君よ~く分かるね。」すると、「僕いつも拝んでいるよ。」ですって。「昔、ばあちゃんと散歩した時に覚えておったよ」ですって。立石橋を通って、「立石さん」の大きな三角岩にお参りです。とんと昔に、三瓶山が噴火した時に、噴火した石だよ。この立石さんの向こう側が多根方面だよ。それが石見の国で、反対の山口側が、出雲の国なんだよ。だから、ここが境になるだろう。だから、「境木」という屋号の家があるだろう。皆里君は「ふ~ん」と、うなづいています。そして、境木にある自動販売機で、暖かいものをゲットです。我が家に着くと、本堂のごはいの所で飲もうよと、一緒に飲みます。お喋りします。「婆ちゃん!椎茸が生えているかもしれないよ。言ってみようよ。」「ほんとだね。皆里君は、お宮さんでも、おみくじが「大吉」だったから、ラッキーボーイだよね。うふふ。この婆ちゃんも子供のころに、お前は「福の神」さんだな。と言われておったけど、皆里君も、「福の神」さんかも知れないね。だって、この婆ちゃんの孫だものね。」「ふ~ん。ラッキーボーイって、「福の神」さんなんだね。」

ということで、椎茸が生えている畑に行きました。すると、大きな椎茸が生えていました。もう、「びっくりポン」でした。いやはや、ラッキーボーイと「福の神」さんがいっぺんに来たようでした。

「言霊」って、この時、ほんとうだなぁと思いましたね。「心が認めるものがこの世界に現れる」という原則通りだったのです。「よい所」を捜し、見えない場合は心で観て、決して短所を強調してはいけないのです。