お早うございます。真っ青な空に、ひつじ雲が浮かんでいます。

2017/02/02

今日の空を見上げて、真っ青な空に白い雲が浮かんでいるのを見て、「幸せ」だと感じる私が居ることは、本当にありがたいなぁと、思う私がいます。今朝のお気に入りブログを見ても、そのブログの中の写真が、斐伊川湖岸での白鳥の群れが映っています。その白鳥の姿を見ていて、「白鳥の湖」のメロディー♬が流れ出します。「あぁ~!幸せな国に住んでいるなぁ。」と、嬉しくなります。そんな気持ちで居ながら、朝の職員朝礼でのことです。「さぁ~。皆様方のお家には、「お福さん」か「福助さん」が置いてあるところは、ありませんか。」と、尋ねました。と言いますのは、実は、私のお里には、「福助」さんが居ました。結構大きくて、一抱えもする大きなものでした。子供のころから、何故あるのか分からず仕舞いでしたが、こうして、大人になり年を重ねてきて見えてくるものがありました。どうも、あの「福助」さんは、江戸時代ごろからの「縁起物」として、商売繁盛、幸せが舞い込むとして、飾られるようになったようです。では、何故里の家にあったのかと、巡らします。そういえば、明治生まれの藤蔵爺さんが居ました。その藤蔵爺さんは、なかなか才覚の持ち主で、若いころには、大地主の番頭頭を勤め、その裁量が大いに発揮され、潤っていたとか。よく聞いていた話が、大地主の屋敷から近隣の村へは、馬に乗って行き来していたという。多分、明治の後半から昭和の戦前のことだろうと思う。そこで、あの「福助」さんが、里の家に舞い込んできたのではないだろうかと、想像がつく。そして、藤蔵爺さんは、知ってか知らぬかは定かではないが、実は、あの福助さんは、ちょっとひも解いてみると、知的障害があり、頭が大きくて、和やかな空気を運んでくれる幸せを呼び寄せる福の神さまという「民間信仰」があった。「福子」の障害をもつ子を大事に育てると、「福」がくると言われていた。私は、ここで驚きです。実は、賢い藤蔵爺様は知っていたのだと、

我が子が、知的障害で誕生していたのだ。誰にも言わず、この藤蔵爺様は、「福助」を求めて、床の間に置いていた。

ははぁー。ここで合点だった。そして、私に、その想いがつながったのではないかと。 いや~。人の想いは繋がるのだと。

人生の深さを、世代を超えて、やっぱり、「継承」していくのだと、改めて感じさせていただいた。

うふふ。この世のことは、すべて、意味があってのことですね。合掌です。