お早うございます。沢山の年賀状が届きました。

2017/01/05

私は、今年は喪中につき年賀状を控えさせていただきました。暮にも喪中のための新年のご挨拶の失礼のお葉書も出さずにおりました。その為に、喪中を知らない方々から、年賀が届きました。誠に、申し訳なくお詫び申し上げます。そこで、本年は、当亀の子工房の印刷工房にて、寒中見舞いを刷ってもらい、出来次第、皆様にご無礼のお詫びと、お見舞いを申し上げようと、思っているところです。それにしても、全国の沢山のお友達から、こうして年賀状をいただくなんて、ありがたいなぁと、思っています。それぞれが、それぞれの地域で、活躍しておられる姿を知るだけでも、元気をいただくようですね。

今日も、暮に出てきた研修の報告書を、まだ見ていなかったので、コメントを書き込んだところです。実にスタッフ達は、素晴らしい研修を研鑽してきます。そのためか、当亀の子の職員は、スキルを上げてきています。しかし、気よ付けないと天狗になってしまう恐れもあります。そのことを端的に表す禅語があります。私は、常に日常生活の中でも、使っていました。今回の研修報告書にも、書かせてもらいました。『不知最親切』(ふち もっとも しんせつなり)です。「知らないことは、最も 道に 親しく切(ねんごろ)なり」ということです。もともと、「親切」とは、誰かを優しくすることではなく、自分が仏道を進むために自分の為に何かをすることです。翻って、今風の意味にすれば、「親切とは自分の為に誰かのためになることをする。」ということです。だから、相手に気づかれなくても「親切にさせていただく」ことで、自分が成長することなのです。これからは、偉そうに親切を売り物にしてはいけません。親切のご利益は自分が得ていることなのです。それが、徳が身につくことになります。

ここで、私は驚きです。とんと昔のことなのですが、老祖が亡くなった時、大祖母が亡くなった時、死後の処理をさせてもらったことがありました。その時、私はまだ若く三十代から四十代前半でした。つい自慢を実家の母親にしましたところ、叱責をもらいました。「折角、そんな誰でもできないことをさせてもらったのに、自慢するようならば、お前には、その徳が逃げてしまう。お陰様で、お前に徳が付くのだぞ。有り難いと思いなさい。」

本当に、これからも、様々なことに出会いそうです。

そうそう、この度の義母の死は、病院でしたので、死後の処理は、全て看護師さんにしていただきました。これも、ありがたいことでした。