2016/06/27
今朝の朝礼では、全員が両手を屈伸して、両手の指もグー・パーと拡げます。1分間の60秒でしたが、中々ですが、とうとう最後はカウントしながらです。9・8・7・6・5・4・3・2・1です。ヤッター!そして、朝礼が始まりました。やっぱり体を動かすことは、とても気持ちいいものです。さて、幸せになる勇気・アドラーの自己啓発の源流からの教えです。 教育の目標は「自立」である。優越性の追求、つまり、人はみな「自由」を求め、無力で不自由な状態からの「自立」を求めている。教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」なのです。
人間が人間として幸福に生きるための「知」も、「わたし」を知り、「あなた」を知ること。人間の本性を知りー「人間知」 行動面 ① 自立すること
② 社会と調和して暮らせること
心理面 ① わたしには能力があるという意識
② 人々はわたしの仲間であるという意識
さて、ここからが難解です。では、具体的にどこから始めればいいのか。教育、指導、援助が「自立」という目標を掲げるとき、その入り口がどこにあるのか。しかし、明確な指針があります。
それは、答えは一つ、「尊敬」です。尊敬とは「ありのままにその人を見る」ことです。
役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間のことを敬う。尊敬なきところに良好な対人関係うまれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。根源にあるのは、「人間への尊厳」なのです。尊敬とはなにか?「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。」世界でたった一人しかいない、かけがえのない「その人」をありのままに見るのです。「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」と。尊敬とは、いわば、「勇気づけ」の原点でもあるのです。例えば、生徒たちへの尊敬によって、生徒たち一人一人が「自分が自分であること」を受け入れ、自立に向けた勇気を取り戻すことになる。取り戻した勇気を使うか使わないかは、生徒たち次第です。水辺まで連れて行くことはできても、水を呑ませることはできません。あなたがどんな優れた教育者であろうと、彼らが変化する保証はどこにもない。しかし、保証がないからこそ、無条件の尊敬なのです。まず「あなた」がはじめなければならない。いっさいの条件をつけることなく、どんな結果がまっていようとも、最後の一歩を踏み出すのは「あなた」です。この世界には、いかなる権力者であろうと、強要しえないものが、二つあります。「尊敬」と「愛」です。
まずは自分が生徒たちを尊敬する。無条件に尊敬する。
子ども達は、すり寄ってくる大人たちに対して、子ども達は敏感に「嘘」や「打算」を察知します。見透かされます。「この人は嘘をついている」と思った瞬間、そこに尊敬は生まれません。まだまだつづきます。とても面白くなってきます。また続きは、今度ですね。