この地球に生まれたのだと。同じだと感動する。

2016/06/14

奈良県の大峯千日回峰行にて、1300年間でわずか一人しか成功していなかった修行を、二人目の達成者となった、慈眼寺住職・塩沼亮潤氏のスピーチをユーチーブで聞くことができた。実は、この私は、実家の母親から、常々、申し渡されていたことがあった。それは、母親が嫁に来たときからのことであった。昭和27年に実家の母屋が建てられた。それ以前には、井戸の場所位に、行座さんが祀られてあり、その行座さんを、先先代の藤蔵爺様は、仏壇の隣の半間にその行座さんを安置した。私も、子供のころから、仏壇の隣に何かのお社があることは知っていた。しかし、その先先代の藤蔵爺様は亡くなり、父の敏治様も亡くなった。そこで、信心深い母親は、そのことが無性に気になり、私が行くたびに話をしてくれ、その行座さんの中にある仏様や金剛杖を出してきた。その仏様と金剛杖は、真っ黒にはなってはいたが、その面影は残していた。そして、その行座さんの謂れを話してくれた。藤蔵爺様の父親が関太郎で、その関太郎の父親の、藤兵衛爺様の代であったらしい。その藤兵衛様と言う方は、江戸時代の安政元年生まれ位で、1854年位で、江戸の末期の時代から明治の初めにかけて、どうも奈良県の大峯山修行に出かけ、その社を賜わり、仏さまと金剛杖を賜わり、長久村東用田の旧屋敷に祠を安置したようであった。そして、混迷の明治時代には、村の人々との関わりを持つもので、さまざまな祈祷や相談にも関与していたようだ。しかし、明治5年には、修験禁止となり、どうも教派神道し、神仏習合の時代の到来にて、「行座さん」として、続けたのだろう。母親の話を聞くうちに、この藤兵衛爺様は、村々の人々の、心の拠り所としての尊い信仰の対象として崇められていたことに気ずつくに至った。そこで、いつかは必ずや奈良県の大峯山へ詣でて、そのご報告をしたいものと思っているところである。だから、妙に慈眼寺住職の塩沼亮潤氏のスピーチが気になったところだ。私の短い言葉があるが、「この素晴らしい地球に生まれたことに感謝し、仲良く楽しく生き抜く心を持ち続けましょう。」と、この方の言葉とがだぶってとてもいい心持になり、遥か昔のご先祖様にも出会ったような至福の幸せをいただいたようになった。ほんに有りがたい事です。