慌ただしい世のうつろいを感じます。

2016/05/16

今日のお天気予報は、当たりました。雨がシトシトと降っています。「行雲流水」のように「あっ」と言う間に逝ってしまわれた。寶隆寺・和田善明方丈の葬儀に列席して来ました。四人の子ども達それぞれに、父親としての熱いメッセージを書に託して、四つの短冊が屏風に掛けてあった。それぞれの子ども達に相応しいものなのだろう。親の願いは死しても輝くものです。方丈様の遺偈も素晴らしいです。『随波遂浪 只六十年 如何佛道 自若担然』 でした。 今朝のことですが、善明方丈の書物があり、正法眼蔵随問記から学ぶの中に、がん告知の話が出ていました。日本人は、中々告知をしてもそれをありのままに受け入れることが出来にくい、そして、告知をしても、ありのままを受けがたいので、病気が回復したら、こうしようあぁしようと、ありのままを受け入れることができない。それは、今、現在の状態から逃れているのに過ぎない。本来ならば、病気をすれば、その病気をありのままに受け入れ、病気に専念することになる。それが寿命(定命)である。ようなことが書いてあった。私は、本当に驚きでした。まさに、自分の書かれた書物の通りに生き切った方丈様なのだと、感服したところでした。しかし、外は、シトシトと雨が降り続いています。なにかやるせない想いが、私のこころを騒がせます。「そんなこと言っても、方丈様、早すぎますよ。。」だから、お天道様も悲しんでおられますよ。   それを打ち消すかのように、亀の子に帰ってみると、皆勤賞の中田さんに、ご褒美のスペシャルメニュー、お皿一杯の大きなステーキをどうぞですって、カメラに納まって、いいお顔です。

今を、精一杯生きてね。